第098話 渇きの街道
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第098話 渇きの街道

第4章 境の継ぎ目

街道は乾いていた。  見渡す限り、褐色の土が続いている。灌木(かんぼく)の影はどれも短く、日差しを遮るものがない。空が近い。森にいた頃は木々が空を区切っていたが、ここでは頭の上に何もなく、ただ白い光が降り注いでいる。

草鞋(わらじ)の底が、乾いた土を踏むたびにざり、と鳴った。  その音が三人分、規則正しく続いている。あさひが先頭、こよいが真ん中、久遠(くおん)が最後尾。峠を越えてからずっと、この並びだった。  道の両脇に、枯れた灌木(かんぼく)が並んでいる。葉は落ち、枝だけが白い骨のように突き出していた。その枝の先に、蜘蛛(くも)の巣が張られているが、巣も乾いて、風が吹くと糸ごと千切れた。

風が吹くと、細かい砂が頬に当たる。  目を細め、袖(そで)で顔を庇(かば)う。風は冷たくない。乾いていて、肌の水分を剥ぐような風だった。唇が割れ、舌先で触れると薄い血の味がした。

遠くに鳥の影が一つ、乾いた空を横切った。  鳶(とび)だろうか。翼を広げたまま風に乗り、円を描いている。この乾いた土地にも、命はいる。水がなくても飛ぶものがいる。

「水」

あさひが振り返らずに言った。  こよいは竹筒を渡し、あさひは一口だけ含んで返した。飲み方に無駄がない。久遠(くおん)も同じように一口だけ含み、蓋を閉める。竹筒を振ると、中の水は半分を切っていた。水場は遠い。三人ともそれを分かっていた。

巾着(きんちゃく)の中で、神々が弱々しく脈打っている。  森にいた頃の力強さはない。乾いた空気が、雨の神から力を奪っているのだろう。脈の間隔が長く、一つ一つが薄い。こよいは布越しに掌(てのひら)を当て、ここにいるよ、と心の中で告げた。

月の神は強い陽射しの中で息を潜め、巾着(きんちゃく)の底にかすかな冷たさだけを残していた。硝子(びいどろ)の神も静かだ。強すぎる光は硝子(びいどろ)を透かすだけで留まらない。  風の神だけが、外の風に応えていた。巾着(きんちゃく)の布が内側からふわりと膨らみ、街道を吹き抜ける西風に小さく身じろぎしている。

道標(みちしるべ)が一つ、砂に半ば埋もれて立っていた。  文字はかすれていたが、久遠(くおん)が指でなぞり、「北の町まで二日」と読んだ。

「二日か。水が持つか微妙だな」

「次の水場は半日先にある。枯れていなければ」

久遠(くおん)の声は平坦だったが、「枯れていなければ」という言葉の裏に、枯れている可能性が高いことが滲んでいた。

こよいは空を見上げた。  白い空。雲はなく、青さえ薄い。ただ光だけがある空だった。  陽射しが目を刺し、すぐに俯いた。地面に落ちた自分の影が短い。昼に近いのだ。影の中に、巾着(きんちゃく)の丸い形がくっきりと映っていた。  こよいは影を踏まないように歩きながら、日が傾くまでにどれだけ進められるかを歩幅ごとに数えていた。

道標(みちしるべ)の根元に、干からびた蜥蜴(とかげ)の死骸があった。腹を上にして、四肢を広げている。こよいはその小さな骸(むくろ)を避けて歩いた。乾きは、全てのものから水を奪う。

昼を過ぎた頃、灌木(かんぼく)の影に座って休んだ。  影は小さく、三人が身を寄せてようやく収まる程度だった。あさひは剣を膝に横たえ、布で刃を拭(ぬぐ)った。砂が鋼(はがね)の表面に張りつき、拭いても拭いてもざらつきが残る。  久遠(くおん)は懐から地図を出し、指先で街道の線をたどった。

「この先に涸(か)れ沢がある。雨季には水が流れるらしいが、今は乾いているだろう」

「雨季って、いつだ」

「分からない。この土地の暦(こよみ)は、ぼくの知る暦とは違う」

あさひは舌打ちし、剣の柄(つか)に肘(ひじ)を乗せた。  久遠の指が地図上で止まった位置を、こよいは横目で見ていた。涸れ沢までの距離を自分の歩幅に換える。足を止めても雨雲は待たない。

こよいは巾着(きんちゃく)に目を落とした。  神々の脈が、さっきより更に弱くなっている。水のない土地は、雨の神にとって身体を削られるようなものなのだろう。指先で布を撫でると、脈が一つだけ強く返った。弱っていても、触れれば応える。

「……大丈夫?」

声は巾着(きんちゃく)に向けて呟(つぶや)いた。  返事はない。  でも脈は途切れなかった。それだけで十分だった。

午後の日差しは更に強くなった。  地面が熱を持ち、草鞋(わらじ)の底を通して足裏が焼ける。遠くの景色が揺らぎ、地平線が歪(ゆが)んで見えた。陽炎(かげろう)だ。揺れる空気の向こうに、町や森が見える気がするが、全て幻だった。

あさひが足を止めた。

「……あれ、見えるか」

指差した先に、空の色が変わっている場所があった。  白い空の端に、灰色の帯が横たわっている。薄く、低く、地平線に沿うように。

久遠(くおん)が義眼(ぎがん)を細めた。蒼(あお)い光が一瞬だけ灯(とも)り、すぐに消えた。

「雲だ。南東の方角に雨雲がある。……こちらに来るかどうかは分からないが」

雨雲。  その言葉を聞いた瞬間、巾着(きんちゃく)の中で神々が跳ねた。  弱々しかった脈が急に速まり、布越しにはっきりと振動が伝わってくる。雨の神が、遠い雲の気配を感じ取ったのだ。

こよいは巾着(きんちゃく)を胸に当てた。  四柱(よはしら)の脈が、それぞれの速さで動いている。雨の神は速く、月は静かに、硝子(びいどろ)は深く、風は外の風に合わせて揺れていた。  乾いた街道の上で、神々が同時に空を向いている。巾着(きんちゃく)の布越しに、四つの気配が南東を指していた。  こよいはその方角を自分の目でも確かめようとしたが、白い光に遮られて雲の輪郭は見えなかった。それでも、神々の指し示す先へと足先が自然に向いた。

あさひが目を細めた。

「雨か。降ってくれりゃ助かるが」

「この距離だと、明日の昼頃になる。風向き次第だが」

久遠(くおん)は地図を畳み、懐に仕舞(しま)った。

灰色の雲は、まだ遠い。  けれど、街道の先に色がある。白一色だった空に、初めて別の色が混じっていた。  こよいは唇の割れ目を舌先で触れ、その痛みの向こうにある湿り気の予感を、胸の奥に仕舞った。

三人は立ち上がり、また歩き始めた。  草鞋(わらじ)の底が乾いた土を踏む音が、再び三つ揃う。  風が砂を巻き上げ、頬に当たる。

けれど、その風の中に、かすかに湿り気が混じった気がした。

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