第035話 帰路
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第035話 帰路

第1章 霧の序章

さかいの里へ戻ろう。

こよいは、泉に背を向けた。  空の巾着きんちゃくを、胸に抱いている。  軽い。誰もいない。でも、寂しい。  三柱みはしらの神を、それぞれの場所に届けた。

道標みちしるべの神を、最初の場所に。  ほこらの神を、第二の場所に。  水路すいろの神を、この第三の場所に。

集めあつめてとして、最初の仕事をやり遂げたのだ。

「……戻ろう」

こよいは、来た道を戻り始めた。

森の中を、歩いた。

朝日が、木々の間から差し込んでいる。  暖かい光。穏やかな光。  昨夜の恐怖が、嘘のようだ。  足の裏に、昨夜からの道のりが残っていた。暗い森を一人で歩いて、三柱みはしらの神を届けた。その事実が朝の光と一緒に胸に落ちて、ふと、足取りが軽くなっていた。

鳥が、鳴いている。  風が、吹いている。  境界きょうかいの向こう側の、静かな朝。でも、何か違う。

こよいは、足を止めた。  周りを見回す。

「……何か、違う」

風の匂いが、いつもと違う。  空気が、何かを含んでいる。  震えている。目に見えない何かが。

「……気のせい?」

歩き始めた。でも、違和感いわかんは消えない。

巾着きんちゃくが、温かくなった。

「っ」

こよいは、胸元を押さえた。

空のはずだ。  誰もいないはずだ。  なのに、温かい。

「……どうして」

こよいは、巾着きんちゃくを見つめた。

軽い。空っぽ。でも、温かい。  神々の温もりが、まだ残っている。

いや、違う。  残っているのではない。  繋がっている。

「……繋がってる?」

道標みちしるべの神と。ほこらの神と。水路すいろの神と。  届けた神々と、巾着きんちゃくが繋がっている。  そんな気がした。

森を抜けた。

目の前に、丘があった。  開けた場所。見晴らしが良い。

こよいは、丘を登った。

頂上に立った。  風が、吹き抜ける。  清々しい風。

周りを、見渡した。

「……」

息を呑んだ。  来た時は闇で、何も見えなかった。だが今は朝日が、世界の果てまで輪郭を描き出している。歩いてきた森の向こうに、これから向かう里の方向まで、この光の中に広がっていた。

山が、光っていた。

北の方向。水路すいろの神を届けた場所。  山の稜線りょうせんが、淡く青く光っている。

「……水路すいろ

西の方向にも、光。  ほこらの神を届けた場所。  穏やかな、金色の光。

「……ほこら

東の方向。  最初に道標みちしるべの神を届けた場所。  柔らかな、薄い山吹色の光が見える。

「……道標みちしるべの神様」

三つの光。  三つの方向から、光が見える。  淡いけれど、確かに光っている。

しおりさんの姿は、ここにはない。  彼女は神ではなく、ぼくを逃がすために固定こていされた。  その悲しみが、光の中に一点の影として残っている気がした。

「……何、これ」

こよいは、呟いた。

光が、揺れている。  まるで、呼び合っているように。  応え合っているように。

北の青い光が、揺れる。  西の金色の光が、応える。  東の山吹色の光が、続く。

順番に。交互に。  光が、やり取りをしている。

「……話してる」

こよいは、言った。  届けた神々が、光を通じて会話かいわしている。  離れた場所にいるのに、繋がっている。  こよいには、そう見えた。

巾着きんちゃくが、さらに温かくなった。

「っ」

こよいは、巾着きんちゃくを握りしめた。

空なのに。  誰もいないのに。  熱いくらい、温かい。

光が、巾着きんちゃくに向かって集まってくる。  そんな気がした。  北からも、西からも、東からも。

胸元で巾着きんちゃくを握りしめると、三方向の光が一斉に脈打った。まるで心臓の鼓動に合わせるように、ゆっくりと、確かに。こよいの体を中心にして、目に見えない糸が世界の果てまで伸びているような、不思議な感覚だった。

「……神かみあつめ

水路すいろの神の言葉を、思い出した。

「神かみあつめの時に、また会える」

これが、その予兆よちょうなのか。  神々が、集まろうとしている。  離れた場所から、繋がろうとしている。

風が、吹いた。

いつもとは違う風。  何かを運んでくる風。  神々の息吹いぶきのような風。

こよいは、目を閉じた。

道標みちしるべの声が、聞こえた気がした。  ほこらの声が、聞こえた気がした。  水路すいろの声が、聞こえた気がした。

「……ありがとう」

「……まっている」

「……また、あえる」

三つの声が、重なった。

「……神かみあつめの時に」

目を開けた。

光は、まだ見えている。  北に、青。  西に、金。  東に、山吹色。

三つの光が、揺れている。  呼び合っている。  待っている。

何を待っている?  神かみあつめを、待っている。  全ての神が集まる時を、待っている。

「……いつか」

こよいは、呟いた。

「……いつか、みんなに会える」

巾着きんちゃくを、胸に抱いた。  温かい。  神々と、繋がっている。  指先が少しだけ震えていた。怖さではない。三つの光がこんなにも遠くから見えていること。集めあつめてとして初めての仕事をやり遂げたことが、巾着きんちゃくの温度に重なっていた。

丘の草が、風に揺れている。足元で小さな花が咲いていた。白い、名前も知らない花。朝露あさつゆに濡れて、光を弾いている。

こよいは、その花をしばらく見つめた。こんな小さな命にも、揺らぎがある。変化がある。それを守りたいと、ふと思った。花はここで根を張り、朝露を飲んで咲いている。届けた神々もまた、それぞれの場所に還って動き始めた。ぼくにも帰る場所がある。

丘を、降り始めた。  さかいの里へ戻るために。

空の巾着きんちゃく。でも、空ではない。  神々との絆が、ここにある。

ほこらが、待っている。  水路すいろの神が、待っている。  道標みちしるべの神が、待っている。

そして、固定こていされたしおりさんも、どこかで見守ってくれている気がした。

かみあつめの時に、また会える。  その約束が、巾着きんちゃくの中にある。

こよいは、歩いた。  おさの待つ、里に向かって。

風が、背中を押している。  神々の風が、帰り道を示している。

いつか、また会える。  神かみあつめの時に、みんなに会える。

その確かな予感が、胸の奥で小さな灯火ともしびのように、ずっと光り続けていた。

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