第032話 近づく光
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第032話 近づく光

第1章 霧の序章

遠くで点滅していた光が、少しずつ大きくなる。  観測者かんそくしゃ。本隊。

こよいは、歩みを止めなかった。  水路すいろの神を届けなければいけない。  逃げていたら、いつまでも届けられない。

「……ちかづいてくる」

水路すいろの神の声が、震えていた。

「……まえから」

前から、光が来る。  分かっている。でも、他に道がない。

森の中を歩いた。  暗い。木々が空を覆っている。  月明かりも、ほとんど届かない。

観測者かんそくしゃの光だけが、前方を照らしている。  白い光。冷たい光。  どんどん近づいてくる。

「……どうする?」

こよいは、巾着きんちゃくに聞いた。

「……にげたほうが」

水路すいろの神の声。

「……でも、どっちに」

どっちに逃げる?  前には観測者かんそくしゃ。  後ろに戻っても、水路すいろの神を届けられない。

「……進む」

こよいは、言った。

「……にげても、だめ」

一歩、また一歩。  光に向かって、歩いた。  靴底に踏み込む枯葉が、湿った音を立てた。心臓が早鐘を打っているのに、足だけは止まらなかった。

その時だった。

左側が、光った。

「っ」

こよいは、足を止めた。

左にも、光。  木々の間から、点滅する光が見える。  一つ、二つ、三つ。

「……ひだり」

水路すいろの神の声が、かすれた。

「……ひだりにも、いる」

左にも観測者かんそくしゃ。  いつの間に。

「……」

こよいは、右を見た。

光。  右にも、光が見える。  点滅している。近づいてくる。

「……みぎにも」

水路すいろの神の声。

前にも。左にも。右にも。  観測者かんそくしゃがいる。

「……後ろは」

こよいは、振り返った。

光。

後ろにも、光が点滅していた。  いつの間に、回り込まれた。  こよいはかかとを引いた。枯れ枝が靴底で小さく折れ、その音に四方の光が同時に止まる。走れば、もっと大きな音を立てる。こよいは闇雲に逃げる代わりに巾着きんちゃくを胸へ押し当て、光の輪が縮む速さと間隔を見比べた。

「……うしろも」

水路すいろの神の声が、震えた。

「……かこまれた」

囲まれた。

心臓が、胸の中で暴れている。耳の奥で、血流の音が轟いている。指先が冷たい。足の感覚が薄れていく。

こよいは、その場で立ち止まった。  周りを見回す。

前に、光。  後ろに、光。  左に、光。  右に、光。

どこを見ても、白い光が点滅している。  点滅の周期が、同じだ。一斉に明いて、一斉に消える。呼吸の合わさったような、不気味な同期。  逃げ場が、ない。

「……」

声が、出なかった。

観測者かんそくしゃの光が、円を描いている。  こよいを中心にして、包囲ほういしている。  十体以上。いや、もっとある。

「……にげられない」

水路すいろの神の声。

「……どこにも」

巾着きんちゃくが、凍りついたように冷たくなった。  水路すいろの神の恐怖が、伝わってくる。

「測定対象を捕捉ほそく

声が聞こえた。  無機質な声。機械のような声。  観測者かんそくしゃの声。

固定こていを準備」

別の声。同じ抑揚。同じ冷たさ。どの声も区別がつかない。まるで一つの意思が、複数の口を使って喋っているようだった。

包囲ほうい縮小しゅくしょう

光が、動いた。  ゆっくりと、円が縮まっていく。  観測者かんそくしゃたちが、近づいてくる。

こよいは、巾着きんちゃくを握りしめた。  指の節が白くなるほど力を込めた。布の目の粗さが、掌に食い込む。  手が震えている。  足が震えている。

しおりの顔が、浮かんだ。  観測者かんそくしゃに囲まれた、あの時。  固定こていされていく、しおりの姿。

同じだ。  今、同じ状況になっている。

「……水路すいろ

こよいは、かすれた声で言った。

「……こよい」

水路すいろの神の声も、震えていた。

光が、どんどん近づいてくる。  円が、どんどん小さくなっていく。

二十メートル。  十五メートル。  十メートル。

固定こていを準備」

観測者かんそくしゃの声が、複数響いた。

「対象を確定」

「測定を開始」

こよいは、動けなかった。  足が、地面に張り付いたように動かない。  どこに逃げても、観測者かんそくしゃがいる。

逃げ場が、ない。  本当に、ない。

「……どうすれば」

声が、震えた。

「……どうすれば、いい」

返事は、なかった。  水路すいろの神も、答えられない。

観測者かんそくしゃの光が、すぐそこまで来ている。  五メートル。  四メートル。

「……」

しおりが言っていた。

「測られたら、固定こていされる」

「動けなくなる」

「でも、消えない」

固定こてい。  石像のように、動けなくなる。  永遠に、そのままで。

呼吸が、浅くなっていた。吸っても、肺に空気が入ってこない。観測者かんそくしゃの光が、地面のこけまで白く染めている。自分の影が、光に食われていく。ここで動けなくなったら、水路すいろの神も一緒に固定されてしまう。

「……いやだ」

こよいは、呟いた。

「……届けてないんだ」

「もう、おしまいだ」

巾着きんちゃくが、急に熱くなった。

「っ」

こよいは、胸元を押さえた。

凍りついていた巾着きんちゃくが、急に熱を持った。  中で、何かが蠢いている。

「……水路すいろ?」

「……」

水路すいろの神が、何かをしようとしている。  巾着きんちゃくの中で、何かが起きている。

固定こていを開始」

観測者かんそくしゃの声。  光が、さらに近づいた。  三メートル。

「……こよい」

水路すいろの神の声が、聞こえた。  今までと違う声。  強い声。

「……つかまって」

その瞬間、巾着きんちゃくが眩しく光った。

白い光が変わった。  巾着きんちゃくから溢れ出した光が、観測者かんそくしゃの白を薄め、灰色へと染めていく。周囲の光が一つ、また一つと色を失い、何もない空のような灰色に変わっていく。

「異常を検知」

観測者かんそくしゃの声に、初めて揺らぎが混じった。

こよいは巾着きんちゃくを胸に押し付けた。布を隔てて伝わる微かな脈動。水路すいろの神がまだそこにいる。灰色の光が押し寄せ、包囲ほういの輪に亀裂きれつが走る。逃げ場はなかったはずなのに、目の前の光だけが、ゆらりと退いた。

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