第027話 空き地の記憶
027

第027話 空き地の記憶

第1章 霧の序章

休息を終えて、谷を登り始めた。  足元の土が湿っている。滑りやすい。  一歩ずつ、慎重に足を運ぶ。

霧が、少しずつ薄くなっている。  さっきまで十メートルだった視界が、十五メートルになった。  上を見上げると、うっすらと空の色が見える。

「……出口、近い?」

こよいは聞いた。

「……うん」

ほこらの神の声。

「……もうすこし、のぼれば」

登り続けた。  斜面は急ではないが、足が疲れている。  昨日から、ずっと歩き続けている。

「……空き地」

こよいは、歩きながら話しかけた。

「……ほこらは、さっき話してくれたよね」

「……うん」

「……空き地も、話してくれる?」

「……ぼくの、こと?」

「……うん。聞きたい。どんな場所だったの」

沈黙。  巾着きんちゃくが、少しだけ重くなった気がした。  空き地の神が、何かを考えている。

「……いい、よ」

空き地の神の声が、小さく聞こえた。

「……むかし、のこと」

「……むかしは、まもられてた」

空き地の神の声が、ゆっくりと始まった。  こよいは、足を止めた。岩に手をついて、聞いた。

「……ちいさな、ほこら」

「……まちの、すみに、あった」

こよいは、目を閉じた。  空き地の神の言葉が、映像になって浮かんでくる。

小さなほこら。  町の角、路地の奥にひっそりと建っている。  こけむした屋根。古い石段。でも、きれいに掃除されている。

「……まいあさ、だれかが、そうじ、してくれた」

空き地の神の声が続いた。

「……おはなを、そなえてくれた」

「……てを、あわせてくれた」

祀られていた。  小さな神だけれど、人々に大切にされていた。

「……うれしかった」

空き地の神の声に、懐かしさがあった。

「……まいにち、だれかが、きてくれた」

「……ひとりじゃ、なかった」

「……良かったんだね」

こよいは言った。

「……うん」

空き地の神の声。

「……とても」

「……でも」

空き地の神の声が、変わった。  少しずつ、冷たくなっていく。

こよいは、また歩き始めた。  ゆっくりと、登りながら、聞いた。

「……まちが、かわった」

町が変わった。  こよいは、その言葉に少しだけ体が強張った。

「……ふるい、いえが、こわされた」

空き地の神の声が続いた。

「……あたらしい、みちが、できた」

再開発さいかいはつ。  古い町並みが壊され、新しい建物が建つ。

「……さいしょは、だいじょうぶだった」

空き地の神の声。

「……ほこらは、のこしてくれた」

「……まわりが、かわっても」

こよいは、少しほっとした。  最初は、残してもらえたのだ。

「……でも?」

こよいは聞いた。

「……うん」

空き地の神の声。

「……だんだん」

「……でも」

空き地の神の声が、また変わった。  今度は、もっと暗い。

巾着きんちゃくが、冷たくなっていく。  空き地の神の感情が、伝わってくる。

「……そうじ、するひとが、いなくなった」

掃除する人がいなくなった。  人が老いてしまったのだろうか。引っ越しだろうか。  ほこらの世話をする人が、いなくなった。

「……それでも、まってた」

空き地の神の声。

「……だれか、くるって」

「……また、そうじ、してくれるって」

こよいは、胸が痛くなった。  待っていたのだ。  誰かが来てくれることを、信じて。

「……でも、あるひ」

空き地の神の声が、震えた。

「……ほこらが、こわされた」

壊された。  その言葉が、重く響いた。

「……じゃまだって」

空き地の神の声が続いた。

「……あぶないって」

「……だれも、いらないって」

老朽化ろうきゅうかしたほこら。  危険だから、撤去てっきょする。  合理的な判断。でも、そこには神がいた。

「……それで」

空き地の神の声が、かすれた。

「……なにも、なくなった」

「……何も?」

こよいは聞いた。

「……ほこらが、なくなって」

空き地の神の声。

「……あとは、ただの、あきち」

「……だれも、こない、ばしょ」

空き地になった。  ほこらがあった場所が、ただの空き地に。

「……くさが、はえて」

空き地の神の声が震えていた。

「……ごみが、すてられて」

「……だれも、みむきも、しない」

こよいは、足を止めた。  空き地の神の悲しみが、巾着きんちゃくを通して伝わってくる。  忘れられた場所。見捨てられた場所。

「……なまえも、わすれられた」

空き地の神の声。

「……なにの、かみだったか」

「……だれも、しらない」

「……ぼくも、わすれた」

名前を忘れた。  自分が何の神だったかも、分からなくなった。  残ったのは、ただ「空き地にいる何か」だけ。

「……なんねんも」

空き地の神の声が、小さくなった。

「……あそこで、まってた」

「……だれか、みつけてくれるって」

「……また、まつってくれるって」

ほこらと同じだ。  何年も、何十年も、待っていた。  誰かが来てくれることを信じて。

「……でも、だれも、こなかった」

こよいは、巾着きんちゃくを握りしめた。  冷たい。空き地の神の悲しみが、伝わってくる。

「……それで、ぼくが来た?」

こよいは聞いた。

「……うん」

空き地の神の声。

「……きみが、みつけてくれた」

こよいは、自分が空き地を訪れた時のことを思い出した。  板塀いたべいで囲まれた、古い空き地。  草の生えない、丸い痕。  そこに、何かがいた。

「……うれしかった」

空き地の神の声。

「……やっと、でられるって」

「……また、だれかと、いられるって」

「……今は、寂しくない?」

こよいは聞いた。

「……うん」

空き地の神の声が、少しだけ明るくなった。

「……きみと、いっしょ」

「……ほこらも、いる」

「……ひとりじゃ、ない」

こよいは、小さく笑った。  そうだ。今、空き地の神はこよいと一緒に旅をしている。  巾着きんちゃくの中は狭いかもしれない。でも、仲間がいる。

「……でも」

空き地の神の声が、また小さくなった。

「……わわすれられない」

「……何を?」

「……あの、さびしさ」

空き地の神の声が震えた。

「……だれも、こなかった」

「……なんねんも」

「……あの、さびしさ」

沈黙。  霧が、ゆっくりと流れている。  視界が、もっと開けてきた。空が、はっきりと見える。

「……ただ」

空き地の神の声が、かすれた。

「……みていてほしかった」

「……わすれないでほしかった」

「……そこにいるって、しっていてほしかった」

その言葉が、胸に突き刺さった。  ただ、覚えていてほしかった。  それだけの、シンプルな願い。  それすら、叶えられなかった。

こよいは、巾着きんちゃくを胸に抱きしめた。  冷たい。でも、そこに空き地の神がいる。

「……ごめんね」

こよいは、小さく言った。

「……人間が、忘れてしまった」

「……きみは、ちがうよ」

空き地の神の声。

「……きみは、みつけてくれた」

「……つれだして、くれた」

「……うん」

こよいは、涙を堪えた。

「……忘れないよ。ずっと」

言った瞬間、胸がちくりと痛んだ。  忘れない。でも、いつかは手放さなければならない。  届けるということは、別れるということだ。  この約束は、嘘にはならないだろうか。  そんな不安が、胸の奥でうずいた。

「……うん」

空き地の神の声が、少しだけ温かくなった。

「……いっしょに」

巾着きんちゃくが、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。

お読みいただきありがとうございます

4つの小説投稿サイトでお読みいただけます