夕暮れの森を、案内人と一緒に戻った。 行きと同じ道なのに、景色が違って見える。 体が軽いからだろうか。それとも、心が軽いからだろうか。
巾着は、まだ重い。でも、さっきまでの鉛のような重さではない。 祠の神と空き地の神が、静かに中にいる。
「……らく」
空き地の神の声が、かすかに聞こえた。
「……すこし、ひろくなった」
祠の神の声も。
三柱だったのが、二柱になった。 その分だけ、巾着の中に余裕ができたのだ。
道標の神の最後の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
「……わからない」
また会えるか、わからない。 それが、別れの真実だった。
空が茜色に染まり、やがて薄暗くなっていった。 森の奥から、夜の気配が近づいてくる。でも、怖くはなかった。里に戻れば、安全だ。
二時間ほど歩いて、境の里に着いた。 広場では、焚き火が燃えていた。 数人の里人が、火を囲んでいる。
「戻ったか」
誰かが声をかけた。
「うまくいったみたいだな」
案内人が頷いた。
「ああ。置いてきた」
「そうか。ご苦労だった」
こよいは、焚き火の温かさに、少しだけほっとした。 ここは安全な場所だ。少なくとも、今夜は。
夕食の前に、長の家を訪ねた。 報告しなければならないと思った。
長の家には、囲炉裏の火が灯っていた。 温かいお茶が出された。
「置いてきました」
こよいは言った。
「三柱目の神を」
長は、ゆっくりと頷いた。
「そうか。よくやった」
その言葉に、重みがあった。
「……軽くなりました」
「そうだろう。それが、届けるということだ」
長は、茶を一口飲んだ。
「お前はまだ二柱抱えている。祠の神と、空き地の神だったな」
「……はい」
「あと二つ、届ける場所がある」
こよいは、背筋を伸ばした。
「……次は、どこですか」
長は、囲炉裏の火を見つめながら言った。
「第二境界の向こうだ」
「ここから、二日はかかる」
「名無しの谷を通る。気をつけろ」
名無しの谷。 その言葉だけで、不穏な空気が漂った。
「……何があるんですか」
「名前が溶ける場所だ」
長の声が、低くなった。
「そこでは、自分の名前を忘れそうになる」
「名乗ってはいけない。呼んでもいけない」
こよいは、その言葉を胸に刻んだ。 名無しの谷。名前が溶ける場所。 また、新しい試練が待っている。
「……でも」
こよいは、ふと疑問を口にした。
「……なぜ、神を届けるんですか」
長は、少し驚いた顔をした。
「なぜ、とは」
「集めて、届けて、置く」
こよいは、言葉を選びながら言った。
「それを繰り返して、何になるんですか」
長は、しばらく黙っていた。 囲炉裏の火が、パチリと爆ぜた。
「届けないと、散り散りになったままだ」
長は、ゆっくりと言った。
「神は、一つの場所に留まれない。忘れられれば、消える」
「だから、集め手が拾って、然るべき場所に届ける」
「そうすれば、神は消えずに済む」
「……でも、ずっとそうなんですか」
こよいは聞いた。
「ずっと、集めて、届けて、の繰り返しですか」
長は、首を振った。
「いいや。いつか、終わりがある」
その言葉に、こよいは息を呑んだ。
「終わり……?」
「神は、いつか一箇所に集まる」
長の目が、炎に照らされて光った。
「それを、『神雧』という」
神雧。 その言葉が、胸に響いた。
「かみ……あつめ」
こよいは、呟いた。
「神《かみ》が、集まる」
「そうだ」
長は頷いた。
「集め手が集めた神々が、いつか一つの場所に集まる」
「散り散りになった神々が、再び一つになる」
「それが、神雧だ」
こよいは、その言葉を噛み締めた。 神雧。全ての神が、一箇所に集まる。 それが、終わりの形なのだろうか。
「……いつ、集まるんですか」
こよいは聞いた。
「いつ、神雧は起きるんですか」
長は、首を振った。
「分からん」
「でも、いつか必ず起きる」
「昔、全ての神が一箇所に集まったことがある」
その言葉に、こよいの心臓が跳ねた。
「……あるんですか。本当に」
長は、遠い目をした。
「伝承だ。とても古い」
「その時、何が起きたかはわからない」
「ただ、神々が集まった。それだけは確かだ」
神雧。 全ての神が、一箇所に集まる。 昔、それは実際に起きた。 そして、いつかまた起きる。
「……ぼくが集めた神も、いつか」
こよいは、巾着を見下ろした。
「祠の神も、空き地の神も、道標の神も」
「みんな、集まるんですか」
長は、ゆっくりと頷いた。
「そうかもしれん」
「だから、届けるのだ」
「届けた場所から、神々はいつか旅立つ」
「そして、神雧の場所へ向かう」
こよいは、その言葉を胸に刻んだ。 届けることは、終わりじゃない。 神雧への、始まりなのかもしれない。
長の家を出て、広場で夕食を食べた。 簡素な食事だったが、温かかった。 体に、栄養が染み込んでいく。
食事の後、用意された小屋で休んだ。 藁の布団は、少し硬かったけれど、疲れた体には十分だった。
布団の中で、巾着を握りしめた。 温かい。祠の神と空き地の神が、静かに眠っている。
「……神雧」
小さく呟いた。
巾着の中から、かすかな声が聞こえた。
「……かみ、あつめ」
祠の神の声だった。
「……いつか、みんな、あつまる」
空き地の神の声も。
「……そうなんだ」
こよいは、目を閉じた。
「……いつか、みんな集まるんだ」
神雧。 全ての神が、一箇所に集まる日。 それがいつ来るのか、わからない。でも、その日は必ず来る。
昔、全ての神が一箇所に集まったことがある。 その言葉が、頭の中で繰り返されていた。
眠りに落ちる前、こよいは思った。 集めて、届けて、置く。 それは、神雧への道なのかもしれない。 自分は、その道の途中にいる。
まだ二柱の神を抱えている。 まだ、届けなければならない場所がある。 第二境界の向こう。名無しの谷を越えて。でも今夜は、休む。 束の間の休息。 明日から、また歩き出す。
巾着が、ほんのり温かい。 その温もりを感じながら、こよいは眠りに落ちた。
