森の道を、さらに歩いた。 案内人の若者は、相変わらず寡黙だった。でも、時々振り返って、こよいの様子を確認してくれる。
足取りは、まだ重い。 巾着は、鉛のように腰を引っ張っている。でも、先人の墓を見た後、どこか気持ちが変わっていた。
貪るな。 その言葉が、頭の中で繰り返されている。 届けることが、仕事だ。抱え込むことが、優しさじゃない。
三十分ほど歩いた頃、森が開けた。 突然、視界が広がった。
円形の空き地だ。 直径は十五メートルほど。苔と細かい草が地面を覆っている。 大きな杉の木が、空き地を囲むように立っている。
その中央に、石の壇があった。
「ここだ」
案内人が、初めて足を止めた。
「最初の置き場所だ」
こよいは、息を呑んだ。 石壇は、円形だった。直径は三メートルほど、高さは腰の半分ほど。 灰色の自然石で作られていて、苔がところどころに生えている。 中央に、浅い窪みがあった。
夕日が、木々の隙間から差し込んでいた。 橙色の光が、石壇を照らしている。 窪みの部分だけが、ほんのり光っているように見えた。
「あの窪みに、置け」
案内人が言った。
「そこが、神の居場所だ」
こよいは、ゆっくりと石壇に近づいた。 足が震えている。 緊張なのか、疲労なのか、分からない。
巾着を見下ろした。 三柱の神が、その中にいる。 祠の神。空き地の神。そして、道標の神。
「……だれを」
空き地の神の声が、かすかに聞こえた。
「……おく」
祠の神の声も。
こよいは、考えた。 誰を、最初に置くべきか。 道標の神は、最後に拾った。一番新しい。でも、一番弱っている。 祠の神と空き地の神は、もう少し持ちこたえられそうだ。 巾着の底で、道標の光が弱く明滅していた。他の二柱とは明らかに違う。もう、引き留めてはいられない。
「……みち」
道標の神の声が、途切れ途切れに聞こえた。
「……ここ、いい」
「……ここに、いたい」
こよいは、決めた。
「分かった」
巾着の口を開けた。 手を入れると、淡い光が指先に触れた。 冷たかった。でも、どこか温かさもある。
光を、そっと持ち上げた。 拳ほどの大きさ。淡い黄色。檸檬のような、弱々しい光。 それが、道標の神だった。
窪みの縁に指を沿わせ、光をゆっくりと底へ降ろした。石がひんやりと指先に触れた。
その瞬間。
光が、広がった。 窪みから、祭壇全体へ。金色の光が、石の表面を這うように広がっていく。 温かい。手のひらに、温もりが伝わってくる。
「……ここ」
道標の神の声が、初めてはっきりと聞こえた。
「……あたたかい」
光は、さらに広がった。 祭壇を越えて、苔の地面にまで。 夕日と混じり合って、空き地全体が金色に染まった。
そして、体が軽くなった。
膝が、ガクンと緩んだ。でも、今度は崩れ落ちる重さじゃない。 重荷が取れた時の、あの感覚だ。
肩が、楽になった。 腰が、伸びた。 呼吸が、深くなった。
「……軽い」
こよいは、呟いた。
「……軽くなった」
巾着を握りしめた。 まだ重い。けれど、体が押し潰されそうな圧迫感は消えている。 祠の神と空き地の神が、静かに中にいる。少しだけ、息をする余裕が戻っていた。
「……よかった」
祠の神の声が聞こえた。
「……らく、になった」
空き地の神の声も。
石壇の上で、光がゆっくりと形を変えていた。 広がっていた金色が、収束していく。 窪みの中に、沈み込むように。 掌に残った温もりが、だんだんと薄れていく。まるで手が離れていくみたいだった。
「……ありがとう」
道標の神の声が、静かに響いた。
「……つれてきて、くれて」
「……ここ、いい、ばしょ」
こよいは、石壇の前に立ったまま、光を見つめていた。 光は、どんどん小さくなっていく。 消えていく。
「……みち、まもる」
声が、遠くなっていく。
「……つづける」
「……ここで、ずっと」
胸が、きゅっと締まった。 寂しい。 重荷が取れて楽になったのに、寂しい。
「……ねえ」
こよいは、消えかけの光に向かって言った。
「……また、会える?」
光が、一瞬だけ揺れた。 返事のように。
「……わからない」
その言葉が、最後だった。 光は、完全に窪みの中に沈み込んだ。 そして、見えなくなった。
石壇は、元の灰色に戻っていた。でも、窪みの部分だけが、ほんのり温かい。 そこに、何かがいる気配が、かすかに残っている。
こよいは、長い間、石壇の前に立っていた。 夕日が沈み、空が茜色に染まっていく。 風が、木々を揺らした。
「……さよなら」
小さく呟いた。 声は、誰にも聞こえなかった。
案内人が、背後から声をかけた。
「里に戻ろう」
「日が暮れる前に」
こよいは、頷いた。 石壇に背を向けて、歩き出した。
三歩進んで、振り返った。 石壇は、夕暮れの中に静かに佇んでいた。 窪みの部分が、かすかに光っているように見えた。 見間違いかもしれない。でも、そう見えた。
「……また」
こよいは、もう一度呟いた。
「……いつか」
返事は、なかった。 わからない。 その言葉だけが、胸の中で繰り返されていた。
帰り道を歩きながら、こよいは巾着を握りしめていた。 まだ、二柱の神がいる。 祠の神と、空き地の神。 この二柱も、いつか届けなければならない。
届けることが、仕事だ。でも、届けるということは、別れるということだ。
重いから、届ける。 届けると、軽くなる。でも、軽くなった分だけ、寂しくなる。
集め手の仕事は、そういうものなのかもしれない。 拾って、届けて、手放す。 その繰り返し。 でも、置いた神は消えるわけじゃない。置いた場所で、また別の形をもち続ける。
巾着の中から、小さな声が聞こえた。
「……だいじょうぶ」
祠の神の声だった。
「……ぼくたちは、まだ、ここに、いる」
こよいは、巾着を握りしめた。 温かい。 さっきまでより、ずっと温かい。
「……うん」
答えた。
「……まだ、一緒にいよう」
