第162話 折れた剣の真実
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第162話 折れた剣の真実

第6章 影の計量

隠し路線は、本当にあった。  回廊かいろうを抜けた先の細い側線に、霧列車きりれっしゃは当たり前の顔で待っていた。数秒ごとに位置のずれる線路を、車輪は迷いなくんでいく。正規の図に載らない道を、この列車は知っているのだ。  その霧列車きりれっしゃ霞見台かすみだいに着いたのは、日がまだ高いうちだった。  車窓の外に広がる荒れた石原に、こよいは目を細めた。ここもまた、漂白ひょうはくが進んだ土地だった。駅舎えきしゃはなく、線路脇の標柱ひょうちゅうに地名がかすれた字で残っているだけだった。

霞見台かすみだいの外れで、あさひが足を止めた。

線路脇に並ぶ石はどれも風化して丸く、こけの代わりに白い粉が吹いている。列車の余韻よいんがまだ線路を伝い、かすかな振動が靴底に残っていた。空気は薄く澄んでいるが、鉄錆てつさびの匂いがどこかから漂ってくる。風ではない。足元の石が含んでいる匂いだった。

あさひは石のひとつに剣先を当て、静かに抜いた。  刃の中央に、細い亀裂きれつが入っていた。  光の角度によっては見えない程度の線だが、刃を傾けると、糸を一本引いたように走っている。みねの側から刃先へ、斜めに一筋。鍛え跡の模様とは違う、明らかに力で入った線だ。

「……いつからだ」

独り言のような声だった。自分にいている。

久遠くおんのぞき込む。義眼ぎがん蒼光そうこうが刃に触れ、亀裂きれつの奥を読もうとした。光が亀裂きれつの中に入り込むと、ひびの内側があおく浮かび上がった。外からは一本の線に見えたものが、内部では枝分かれしていた。根を張るように、しんへ向かって広がっている。

あさひは肩をすくめた。

「影の中心で受けた時だろうな。見えないあつを受け流したとき、しんまで入った」

受け流したと言うが、それは体ごと持っていかれるような力を、腕一本でらしたということだ。こよいはあの場面を覚えている。あさひのかかとが石を割り、膝が一瞬沈んだ。腕の筋が浮き上がり、歯を食いしばる音が暗闘の中で聞こえた。それでも立っていた。立っていた代償が、今この線になっている。  刃が受けた傷は、あさひの体が受けるはずだった傷でもある。剣はいつも持ち主の前に立つ。こよいはそのことを、言葉にせずに理解した。

こよいは息をんだ。

「折れる?」

「今すぐじゃない。けど次の強打でいくかもしれない」

あさひの声に悲壮さはなかった。道具の状態を報告する声だった。けれど刃を見つめる目だけが、いつもより長く止まっていた。この剣と過ごした時間の長さが、そのまなざしに溜まっている。

久遠くおんは刃の亀裂きれつ義眼ぎがんの光を当てた。  蒼光そうこうの中で、ひびはただの傷ではない形を浮かべる。線の奥に、細かい模様がわだかまっていた。

「待て。これ、内部に封入物ふうにゅうぶつがある」

あさひが眉をひそめる。

封入物ふうにゅうぶつ?」

「古い刻印片こくいんへんだ。鍛えた時にしんへ入れられた記録。だから折れても、真ん中で粘ってる」

こよいは目を見開いた。刃の中に、文字が入っている。折れなければ誰にも読めない場所に、鍛冶かじが言葉を隠した。

久遠くおんの指が亀裂きれつの縁をなぞる。蒼光そうこうが内部へ深く潜り、封入された何かの輪郭りんかくを浮かべようとしていた。刃は冷たいはずなのに、久遠くおんの指先だけがかすかに温まっている。封入物ふうにゅうぶつが応えているのだ。

こよいは巾着きんちゃくを開き、神々の温度を刃へ落とした。神々は蒼光そうこうと混ざり、刃の上で薄いまくになって広がった。  白い湯気が上がり、亀裂きれつの中に小さな文字が浮く。温度と光が交差した一瞬だけ、鉄の中に埋められた言葉が表に出た。文字は白く光り、すぐ消えかける。こよいは息を止めて読んだ。

さかいを越える時、名を忘れるな』

三人とも、しばらく黙った。  風の音だけが石の間を通り抜ける。文字は神々の温度が引くとともに薄れ、刃は再び冷たい鉄に戻った。けれど一度読んだ言葉は、もう消えない。空気の中に、鉄と紙が焼ける匂いが薄く残っていた。

あさひが苦く笑う。

「師匠の字だ。剣を寄越した時、つかの話しかしなかったくせに、こんなもん仕込んでたのか」

声は笑っていたが、手は揺れていなかった。つかを握る指の力がわずかに増し、関節が白くなる。こよいはそれを見て、何も言わなかった。言葉で触れていい場所ではないと分かった。  あさひの師匠は刀鍛冶で、この剣を打った人だ。観測者かんそくしゃに連れ去られたまま、行方は知れない。あさひは多くを語らない。ただ「口より腕がうるさい人だった」とだけ言って、それきりだった。その無口な人が、刃の芯に黙って言葉を仕込んでいた。生きて、どこかにいるかもしれない人の言葉だ。その事実が、あさひの目尻にだけにじんでいた。

久遠くおんは慎重に言う。

「折れた剣は弱いとは限らない。中身が見えるという利点もある」

あさひは刃をさやへ戻しかけ、途中で止めた。

「修復できるか?」

「完全修復は時間が足りない。応急ならいける」

久遠くおん目録もくろくの端を裂き、細い帯にして刃の根元へ巻く。あさひは黙って刃を差し出し、久遠くおんの手元を見守った。巻く手つきは正確で、帯の繊維が蒼光そうこうに反応し、かすかに青白く光った。紙の質が変わる。記録の断片を含んだ紙は、ただの布や革よりもはがね馴染なじむ。  そこへこよいが神々の熱を重ね、帯を定着させる。熱は強すぎず、紙が焦げる手前で止まった。巾着きんちゃくの中の四柱よはしらが温度を調ととのえているのだと、こよいはてのひらで感じた。

仮補強の式だ。  帯の端が刃に吸い込まれるように密着し、巻き終わると蒼光そうこうがすうっと引いた。三人の影が石の上に長く伸びている。日が傾いていた。  強打は三回まで。

久遠くおんが条件を告げると、あさひはうなずいた。

「三回で決める。無駄振りはしない」

こよいは、さやへ戻る刃を見つめた。  ひびは消えていない。帯が巻かれた根元のすぐ上で、亀裂きれつは薄く息をしている。光を受けると、帯の青白い筋が脈のように見えた。  それでも、文字ははっきり残っている。刃の外には出なくても、しんの奥で師匠の声がまだ生きている。名を忘れるなという言葉が、壊れかけたはがねの中で、まだ鳴っている。

折れかけて初めて見える真実がある。  それは剣だけじゃなく、人も同じだとこよいは思った。壊れる手前で、中に何が入っていたかが初めて分かる。こよい自身の中にも、まだ読めていない文字があるのかもしれない。

出発の笛が鳴る。遠くで列車が蒸気を吐く音がした。  三人は列車へ戻る。  車内は空いていた。窓から差す夕日が座席の木目をだいだいに染めている。

あさひは座る前に一度だけつかを握り、低くつぶやいた。

「忘れないよ」

誰に向けた言葉かは言わない。  だが、その声は確かに刃のしんへ届いていた。  折れかけた刃の奥で鳴る、師の声——原初げんしょ術式じゅつしきが求める還す者のも、壊れかけた何かの芯に宿るのかもしれない。

おたまは尾を立て、次の一歩を静かに待っていた。

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