列車を降りると、停車場の灯は半分消えていた。
残った灯の下に、人影が五つ。 揃いの外套、同じ高さの襟、同じ靴音。訓練された集団の、崩れかけた規律がかろうじて形を保っていた。外套の裾は泥に汚れ、何日も野営を続けた痕跡がある。それでも襟だけは正されていた。
観測者の残党だった。 停車場の空気が変わる。蒸気と鉄錆の匂いに混じって、汗と土の匂いが鼻を突いた。生きた人間の匂いだ。それが逆に、こよいの背筋を冷たくした。
「止まれ」
先頭の男が言う。 声には疲れと執念が同居していた。目の下に深い隈があり、唇の端が乾いてひび割れている。長い間、まともに休んでいない顔だ。
「核片を引き渡せ。お前たちに運用資格はない」
あさひが一歩前へ出る。足の置き方が変わっていた。前の区画までの、迷いを含んだ立ち方ではない。迷いを認めた上で踏み込む、新しい構えだった。右足の踵を僅かに浮かし、左足に体重を預ける。抜刀と後退、どちらにも移れる中間の姿勢だ。
「資格の話をするには、遅すぎる。ここまで町を壊したのは誰だ」
男は表情を変えない。ただ、こよいの胸元——巾着のある位置を、値踏みするように見ている。その視線には敵意よりも渇望に近いものがあり、こよいの胸の奥が冷えた。
「壊したのではない。整えた。揺らぐ理を固定するには犠牲が要る」
久遠が目録を掲げる。 蒼い光が外套の縫い目を照らし、隠された印章を浮かび上がらせた。印は古い書式で、線の一部がかすれている。長く使い込まれた証だ。墨の色は褪せ、何度も上塗りされた形跡がある。
「古い班だな。解散命令が出てるはずだ」
「命令は受領した。従わなかっただけだ」
男の声にわずかな誇りが混じった。 その合図で、残りの四人が扇形に広がる。 包囲。 逃げ道は三方とも塞がれ、背後には降りたばかりの列車が静かに蒸気を吐いている。蒸気の白が足首まで覆い、互いの足元が見えにくくなっていた。
こよいは巾着を胸に寄せ、神々の脈を数えた。雨の神が深く脈打ち、硝子の神が澄んだ振動で応えている。 速い。 危険を示している。布越しの温度が上がり、指先に脈のような振動が伝わる。
「交渉は?」
こよいが問う。声が上擦らないよう、意識して低く出した。
男は首を横に振った。
「交渉の時期は終わった。記録は回収する」
あさひが剣を抜く。 金属音が冷たい空気を裂いた。停車場の残った灯が刃に映り、細い光の線が五人の顔を順に撫でた。恐怖はない。覚悟だけがあった。
「なら、ここから先は通さない」
最初に動いたのは左端の女だった。 短い刃を低く振り、あさひの足を狙う。靴底すれすれの軌道。殺す気はない。足を止めて奪う気だ。 あさひは半歩下がり、柄頭で手首を弾いた。乾いた音がして、女の指から短刃が飛ぶ。刃が石畳に落ちて跳ね、金属の高い音が停車場に響いた。
同時に、右側の男が久遠へ走る。 久遠は目録を閉じ、間に挟んでいた控えの紙束だけを相手の視界へ投げつけた。 紙片が散った一瞬に姿勢を崩し、肘で顎を打つ。鈍い音。男がよろめき、膝を折る。久遠は散った紙片には目もくれず、次の敵を見据えた。
こよいの前にも影が来た。 剣ではなく、拘束具を持っている。金属の輪と短い鎖。こよいの手首を縛って巾着を奪う算段だ。
「傷つけるな、って命令か」
こよいは一歩引き、巾着を開いた。 神々の温度が広がり、男の足元の石畳に薄い水膜を作る。冷えた夜気に触れた水膜が一瞬で霜に変わりかけ、石の表面を滑らかにした。 男は踏み込みを滑らせ、膝をついた。拘束具が石畳に当たり、甲高い音を立てる。
「今だ、あさひ!」
あさひの斬撃は浅い。 外套だけを裂き、肉は断たない。刃が布を通過する音は、紙を破るような軽さだった。 だが外套の内側に隠した通信石を正確に落とした。石が石畳に当たって砕け、蒼い火花が散る。
男たちの連携が崩れる。 通信石を失ったことで、互いの位置を確認する動きが一拍遅れ、扇形の陣が歪んだ。声で補おうとする者もいたが、停車場の反響が方向を狂わせていた。
久遠が短く命じた。
「撤退線を断て。長引かせるな」
三人は同時に中央へ圧をかけた。 こよいは巾着を掲げ、神々の光を正面に向ける。眩しさに男たちが腕で目を庇い、あさひがその隙を突いて二人目の通信石を叩き落とす。 観測者たちは数歩退き、停車場の外へ下がる。
先頭の男だけが残り、こよいを見た。 その目にあったのは怒りではなかった。哀しみに近い何かだ。自分たちが守ろうとしたものが、別の手に渡ることへの、諦めきれない執着。瞳の奥に灯が映り込み、揺れている。
「お前たちが守るものは、いずれ管理不能になる」
こよいは正面から答えた。
「それでも、名も記憶もないまま固定されるよりはいい」
男は何も言わず、霧の中へ消えた。 足音だけがしばらく残る。規則正しい靴音が遠ざかり、やがて霧に吸い込まれて消えた。
あさひが剣を納める。鍔鳴りの音が、戦闘の終わりを告げた。
「追うか?」
久遠は首を振った。
「今は核片を優先。残党はまた出る」
「……どうして、ぼくたちが核片を持ってるって分かったんだろう」
「核片は拍を放ってる。聞ける耳を持つ者には、灯台と同じだ。……持ち歩く限り、追っ手は絶えない」
こよいは散った紙片を拾い、久遠へ渡した。 紙は濡れていた。 誰の汗か、霧か、区別はつかない。久遠は紙片を受け取り、一枚ずつ順番を確かめてから目録に挟んだ。
停車場の灯が一つ、また一つと戻る。 消えていた灯が順に点り、石畳の上の水膜や砕けた通信石の破片を照らし出した。
戦いのあいだ姿を消していたおたまが、いつの間にか石柱の上に戻っていた。 戦闘のあと、停車場の隅に倒れていた外套をこよいは拾った。 まだ温かい。ついさっきまで人が着ていた熱が、布の繊維に残っていた。指先に伝わるその温度が、敵だった者の体温と同じだという事実に、こよいは息を詰めた。 内側の縫い目に、小さな刺繍がある。
『第七班』。
糸は色褪せ、何度も繕った跡がある。古い班の、古い誇り。 久遠はそれを見て、目を伏せた。睫毛の影が頬に落ちる。
「昔、同じ班で研修を受けた者がいた。たぶん生き残りだ」
あさひが外套を受け取り、血の付いていない部分だけ畳む。布を扱う手が不器用で、角が揃わない。それでも丁寧に折り目をつけていた。
「敵でも、雑に扱わないんだな」
久遠は短く答えた。
「敵だからこそ、履歴を残す。そうしないと、次の敵の理由が見えなくなる」
こよいは畳んだ外套を石柱の上に置いた。刺繍の糸が灯に照らされ、褪せた金色がかすかに光った。 灯に照らされた外套は、遠目には誰かが脱いで置いただけに見える。 回収されるか、風で飛ぶかは分からない。 なかったことにはしない。こよいは石柱の上の外套に小さく頭を下げた。
術式の第三条件を見つける前に、自分たちの存在が消えるわけにはいかない。
