朝日が、窓から差し込んでいた。 こよいは、見慣れない天井を見上げて、一瞬だけ自分がどこにいるのか分からなくなった。
境の里だ。 昨日、ここに着いた。長に会った。
「境を越えてくる奴らがいる」と聞いた。
体を起こした。 傷は、まだ少し痛む。でも、昨日よりはずっとましだ。 巾着を手に取った。温かい。
「……おはよう」
小さく呟くと、祠の神の声が返ってきた。
「……おはよう」
「……よく、ねむれた?」
こよいは頷いた。
「うん。久しぶりに、ちゃんと眠れた気がする」
身支度を整えて外に出ると、里はもう動き始めていた。 煙が立ち上っている。朝餉の支度だ。 子供たちが走り回り、大人たちが声を掛け合っている。 普通の村の朝。でも、ここは「境の向こう」なのだ。
広場で簡単な朝餉を済ませた後、長がこよいを呼んだ。
「ついてこい。話がある」
長の家は、集会所のすぐ隣にあった。 質素な木造の家。でも、居間には書物や地図が並んでいる。 囲炉裏の前に座ると、長がお茶を淹れてくれた。
「傷はどうだ」
「……だいぶ良くなりました」
「そうか。若いのは回復が早い」
長は、茶碗を差し出した。
「昨夜、いくつか話した。だが、まだ足りない」
こよいは、茶を受け取った。温かい。苦いけれど、体に染みる味がする。
「お前は、『集め手』だ」
長の目が、こよいを真っ直ぐに見つめた。
「だが、集め手が何をする者か、本当に分かっているか」
こよいは、少し考えた。
「……神を、集める。消えそうな神を拾って、巾着に入れる」
「それだけか」
「……それだけ、だと思ってました」
長は、ゆっくりと首を振った。
「集め手は、神を集めるだけの存在ではない」
その言葉に、こよいは背筋を伸ばした。
「集めるだけじゃない。届けるまでが仕事だ」
届ける。 その言葉が、胸に響いた。
「……届ける?」
「そうだ。神には、行くべき場所がある。置くべき場所がある」
長は、茶を一口飲んだ。
「お前は、消えそうな神を拾った。それは正しい。だが、拾っただけでは終わらない」
「拾った神を、然るべき場所に届ける。そこまでが、集め手の仕事だ」
こよいは、巾着を握りしめた。 祠の神と空き地の神。二柱の神が、その中にいる。
「……届ける場所って、どこ」
「それは、神によって違う。だが、この境界の先には、いくつかの『置き場所』がある」
「昔から、集め手たちが神を届けてきた場所だ」
巾着の中から、小さな声が聞こえた。
「……うん、しってる」
祠の神の声だった。
「……いきたい、ばしょ、ある」
長は、少し驚いた顔をした。
「お前の神は、もう知っているのか」
「……はい。時々、そういうことを言います」
「ならば、話は早い」
長は立ち上がった。
「歩きながら話そう。見せたいものがある」
里の裏山へと続く道を、二人で歩いた。 緩やかな上り坂。木々の間から光が差し込み、地面に斑模様を描いている。
「集め手は、昔から存在した」
長は、歩きながら話し始めた。
「神が消えそうになる時、誰かが拾い上げる。それが集め手だ」
「だが、集めただけでは意味がない」
道の脇に、古い石が積まれていた。祠の跡だろうか。 長は、それを指差した。
「ここにも、かつて神がいた。だが、忘れられ、消えかけた」
「集め手が拾い上げ、別の場所に届けた。今では、その場所で祀られている」
「それが、集め手の仕事だ」
こよいは、石の跡を見つめた。 ここにいた神は、今はどこかで生きている。 そう思うと、少しだけ胸が温かくなった。
「だが」
長の声が、低くなった。
「気をつけねばならないことがある」
坂を上りながら、長は続けた。
「抱え込むと、お前も神も壊れる」
その言葉に、こよいは足を止めた。
「……壊れる?」
「そうだ。神は重い。見た目以上に、重い」
長は振り返った。
「一柱なら、大丈夫だ。二柱でも、なんとかなる。だが、三柱、四柱と増えると……」
「集め手の体が、耐えられなくなる。神々も、窮屈で苦しむ」
巾着が、少しだけ重く感じた。
「……ごめん」
祠の神の声が、小さく聞こえた。
「……おもい、よね」
こよいは、巾着を撫でた。
「ごめんなんて言わなくていいよ」
「……でも」
「ぼくが、ちゃんと届けるから」
長は、その様子を見て、少しだけ目を細めた。
「良い集め手になれそうだな、お前は」
「……そう、ですか」
「ああ。神と話ができる。それは、大事なことだ」
さらに坂を上ると、開けた場所に出た。 そこに、古い石柱が立っていた。 苔に覆われ、刻まれた文字は読みにくい。でも、方角を示していることは分かる。
「これは、置き場所への道標だ」
長は、石柱を指した。
「ここから先に行けば、最初の置き場所がある」
「お前の神が行きたがっている場所かもしれん」
こよいは、石柱を見上げた。 遠くに、山が見える。道は続いている。
「……どれくらい、かかりますか」
「歩いて一日。だが、急ぐ必要はない」
長は、こよいの方を向いた。
「その前に、一つ聞きたい」
長の目が、こよいの腰の巾着を見つめた。 鋭い目だった。何かを測っているような目。
「お前の巾着、もう重すぎないか?」
その言葉に、こよいは息を呑んだ。 巾着を見下ろす。 確かに、重い。最初に比べて、ずっと重くなっている。 祠の神と空き地の神。二柱の神。 それだけで、こんなに重いのか。
「……少し、重いです」
正直に答えた。
「でも、まだ大丈夫です」
長は、ゆっくりと首を振った。
「『まだ大丈夫』は、危険な言葉だ」
「それは、『もうすぐ限界』と同じ意味だからな」
風が吹いた。 木々がざわめき、葉が舞い上がる。 巾着が、確かに重い。 こよいは、初めてその重さを、本当の意味で感じていた。
「……早く、届けないと」
その言葉が、自然と口から出た。
長は頷いた。
「そうだ。それが分かったのなら、お前は正しい道を歩いている」
「明日、この先へ行け。最初の置き場所を目指せ」
こよいは、石柱の向こうを見つめた。 道は、森の中へと消えている。 その先に、神を置く場所がある。
巾着が、少しだけ温かくなった。
「……いきたい」
祠の神の声が、静かに言った。
「……ずっと、まってた」
