第123話 神の起源
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第123話 神の起源

第4章 境の継ぎ目

久遠(くおん)が目録(もくろく)を閉じた。  重い音がした。  紙が紙を打つ音ではなく、何か決定的なものが落下するときのような、胸の底に響く音だった。  黄金の表紙から立ち昇っていた光は既に潰(つい)え、そこにあるのはただ、古びた革の装丁(そうてい)だけだった。

車内に沈黙が落ちた。  誰も口を開かなかった。  車輪がレールを叩くリズムだけが規則正しく刻まれ、その単調な反復が、逆にこよいの胸の中の嵐を浮き彫りにしていた。  窓の外は暗く、硝子(ガラス)に三人の顔がぼんやりと映っている。映った顔は皆、同じ表情をしていた。信じていたものの底が抜けた後の、空白の顔だった。  神々は、作られた存在だった。

祈りの残骸(ざんがい)から培養され、世界の燃料(ねんりょう)として消費され、摩耗(まもう)し磨り減ったら解体されて新しい種子へと再利用(さいりよう)される。  あの温かな神々も、銀色の光も、風の囁(ささや)きも。  全てが、観測者(かんそくしゃ)たちの設計通りに生み出された、精緻(せいち)な部品の機能に過ぎなかったのだ。

目録(もくろく)に記されていた製造記録は、淡々とした数字の羅列だった。  培養温度。成長速度。耐久年数。廃棄条件。  神々のことを、帳簿の中の品目のように扱っていた。あの記録を書いた者には、愛も悲しみもなかった。ただ効率だけがあった。  巾着(きんちゃく)の中で、神々は沈黙していた。

泣いているのでもなく、怒っているのでもなかった。  ただ黙っていた。  真実を知ってしまった者特有の、動けなくなるほど深い静寂の中にいた。  こよいは掌(てのひら)の中の微かな振動を確かめた。四つの脈が、どれも弱く、しかし確かに打っている。硝子(ガラス)のような澄ました静けさが、布の奥から滲(にじ)んでいた。

こよいは巾着(きんちゃく)を膝(ひざ)の上に乗せ、その温もりを掌(てのひら)で探った。  布越しの温度が、いつもより低い気がした。神々が自分の中に閉じこもっているのだ。  あの温もりは嘘だったのか。こよいの掌(てのひら)が受け取ってきた脈動は、設計された機能に過ぎなかったのか。

微かに、本当に微かに、四柱(よはしら)が脈打っていた。  呼吸をしている。  まだ、生きている。  設計された機能だとしても、その脈動はこよいの掌(てのひら)の中で打っている。目録(もくろく)の頁(ページ)の中ではなく、ここで。

こよいは目を閉じ、巾着(きんちゃく)の温もりに意識を集中した。  神々の脈。月の冷たさ。硝子(びいどろ)の静けさ。風の気配。四つの存在が、それぞれの形で息をしている。  目録(もくろく)が言う「部品」に、これほどの温度があるだろうか。設計図が予測した「機能」に、涙を流す力があるだろうか。  こよいは知っている。あの神々の涙が、設計の外にあるものだということを。

「……信じてるよ」

こよいは巾着(きんちゃく)に向かって、囁(ささや)くように言った。

「どんなふうに生まれてきたとしても。あの子たちがぼくの掌(てのひら)の中で泣いたことは、本当のことだから」

声が震えた。  涙は出なかった。  涙を流すには、まだ怒りが熱すぎた。  観測者(かんそくしゃ)たちへの怒り。神々を作り、使い、壊してきた者たちへの怒り。そして、その構造の中で何も知らずに暮らしてきた自分自身への怒り。  怒りは喉の奥で塊になり、飲み込むことも吐き出すこともできず、ただ胸の中で燃えていた。

ふと、久遠(くおん)の左の瞼(まぶた)の奥で、蒼いものが揺れた。  経蔵(きょうぞう)を出てから一度も開かなかった義眼(ぎがん)が、細い隙間から薄い光を漏らしている。眩(まぶ)しさはない。消え残った熾火(おきび)のような、弱い蒼だった。

「……休ませた分だけは、戻るらしい」

久遠(くおん)は誰にともなく言った。それから、深追いを許さない声で付け足した。

「無理に灯せば、今度こそ戻らない。……今夜は、もう読まない」

久遠(くおん)は目録(もくろく)を懐に仕舞(しま)い、目を閉じた。

義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が消え、彼の顔は年相応の少年のそれに戻っていた。  額(ひたい)に張り付いた髪の間から、限界を超えた情報処理の代償(だいしょう)として浮き上がった細い血管が見えた。  久遠(くおん)にとって、この真実は長く探し求めていた答えだった。けれどその答えは、彼自身の存在をも揺るがすものだったはずだ。義眼(ぎがん)も、彼が読み解く術式も、全て観測者(かんそくしゃ)の技術から生まれたものなのだから。こよいは久遠(くおん)の閉じた瞼(まぶた)を見つめ、何も言えないまま指先を膝の上で握りしめた。

あさひは通路に足を投げ出し、天井を仰いでいた。  剣を膝に横たえ、柄(つか)を握ったまま力を抜いている。

「……なあ、こよい」

「……うん」

「部品だって何だっていいんだよ。本物かどうかを決めるのは、作った奴じゃない。そばにいる奴だ」

あさひはそれだけ言って、天井を見た。  天井板の木目を見つめる目は鋭いのに、声だけが優しかった。こよいは、あさひがこういう言葉を持っていることを、今まで知らなかった。粗い言葉の奥に、誰にも見せない柔らかさがある。  喉の奥の塊が、少しだけ解れた。こよいは息を吐き、巾着(きんちゃく)をもう片方の掌(てのひら)で覆(おお)った。

列車は走り続けていた。  窓の外の幻影(げんえい)の海は、いつの間にかその姿を消していた。  代わりに広がっていたのは、ただの霧(きり)だった。

どこまでも白い、何も書かれていない霧(きり)。  経蔵(きょうぞう)の中は文字で溢(あふ)れていた。どこを見ても名前があり、記録があり、消された声が積み重なっていた。この霧(きり)には何もない。何も書かれていない。だからこそ、これから書けるのだと、こよいは思った。  その白さが、こよいの目にはかつてないほど眩(まぶ)しく映った。  巾着(きんちゃく)の中で、月の神が微かに銀色の光を灯した。  続いて風の神が小さく息を吐き、硝子(びいどろ)の神がその光を映して揺らめかせた。

声はなかった。  言葉はなかった。  ただ、光だけがあった。  作られた存在が、設計を超えて光を灯している。それは小さな反乱だった。観測者(かんそくしゃ)が予測しなかった、掌(てのひら)の中の小さな奇跡。  こよいはその光に手を重ね、座席の木の硬さを背中に感じながら、目を閉じた。

列車の揺れが、ゆりかごのように身体を揺らした。  車輪がレールの継ぎ目を踏むたびに、短い振動が背骨を伝わる。その規則正しい振動の中で、巾着(きんちゃく)の温もりだけが不規則に脈打っていた。生きているものは、時計のようには動かない。  霧(きり)の向こうに、夜明けの気配はまだなかった。

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