第386話 砂灯の灯
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第386話 砂灯の灯

第13章 南の方位

砂の上に灯(ひ)が立っていた。

夜になっても砂は冷えない。昼の熱を抱えたまま、じわりと足裏を焼き続ける。星が出ないのは砂の微粒子(びりゅうし)が空を覆(おお)っているからだと久遠(くおん)が言った。月も見えない。闇の中を、足の感触だけを頼りに進んでいた。

その闇の中に、光があった。遠くに一つ。小さく、揺れない光。

「火か」

あさひが目を細めた。

「違う」

久遠(くおん)が義眼(ぎがん)を向けた。蒼光(そうこう)が闇を貫き、光源を照らし出す。

「砂灯(さとう)だ」

近づいてみると、行灯(あんどん)のような形をしていた。だが木でも紙でもない。砂が固まって枠を作り、その中に硝子(ガラス)のような薄い板がはめ込まれている。硝子(ガラス)の内側で、金色のものが光っていた。

芯(しん)がない。油もない。火ではない。なのに光っている。

こよいは砂灯(さとう)の前にしゃがみ、硝子(ガラス)に顔を近づけた。金色の光の中に、文字のようなものが見える。形を保てないほど崩れかけているが、元は文字だった。

名前だった。

「名前が燃えてる。硝子(ガラス)の中で、名前が燃えて光ってる」

久遠(くおん)が義眼(ぎがん)を砂灯(さとう)の内部に向けた。

「名前の断片(だんぺん)が硝子(ガラス)の中に封入(ふうにゅう)されている。空気に触れると名前は少しずつ崩れる。その崩壊の過程で熱と光が出る。砂灯(さとう)はその反応を硝子(ガラス)で閉じ込めて灯(ひ)にしている」

あさひが砂灯(さとう)の柱を叩いた。砂の枠が固く、拳(こぶし)の振動を吸収する。

「名前を燃やして道を照らしてるってことか」

「ああ。名前の寿命を削って、光に変えている」

砂灯(さとう)は一つだけではなかった。闇に目が慣れると、前方に点々と灯(ひ)が並んでいる。等間隔で、一直線に。砂漠(さばく)の中に道を示すように立っていた。

三つ目の砂灯(さとう)の前で、久遠(くおん)が足を止めた。枠の表面に、一行だけ文字が刻まれている。整った書体だった。義眼(ぎがん)の出力を上げ、読み取る。

「銘(めい)だ」

声が変わった。分析的な口調ではなく、何かに打たれたような響き。

「何て書いてある」

あさひが聞いた。

久遠(くおん)は一拍、間を置いた。

「『白が来る前に、道を残す』」

三人は黙った。風が砂を運び、砂灯(さとう)の硝子(ガラス)を叩く乾いた音だけが響いている。

「白って、漂白(ひょうはく)のことか」

「ああ。この砂灯(さとう)を作った者は、漂白(ひょうはく)が来ることを知っていた。名前が消されることを予見して、消える前に道を残そうとした」

久遠(くおん)は目録(もくろく)を開き、銘文(めいぶん)を書き写した。

「いつの時代だ」

「分からない。だが砂灯(さとう)の風化(ふうか)の程度から推測すると、相当に古い。観測者(かんそくしゃ)が名前の管理を始めるより前かもしれない」

こよいは銘文(めいぶん)に指を触れた。一画一画に力がこもっている。

「この人は、未来のために灯(ひ)を作ったんだね。名前が消されると分かっていて、それでも道を残そうとした」

四つ目の砂灯(さとう)の光が弱い。硝子(ガラス)の内側の金色が薄れ、最後の欠片(かけら)が点滅していた。五つ目も同じ。六つ目はさらに弱い。灯(ひ)の列を追うほどに、光は細くなっていく。

こよいは消えかけの砂灯(さとう)の前にしゃがんだ。硝子(ガラス)の内側で、最後の名前の欠片(かけら)が明滅(めいめつ)している。一文字にも満たない、形を失いかけた輝き。

巾着(きんちゃく)が反応した。小さく、弱く。消えかけの名前に向かって、名前たちが手を伸ばしているような感覚があった。

「助けられないの。硝子(ガラス)の中の名前を、巾着(きんちゃく)に入れることは」

久遠(くおん)が首を振った。

「もう名前の形を保っていない。消える運命のものを延命することはできない」

こよいは硝子(ガラス)に手のひらを当てた。温かい。名前が燃えている熱だった。

「ありがとう」

小さく言った。砂灯(さとう)の光が一度だけ、僅かに強くなった気がした。

七つ目の砂灯(さとう)は完全に消えていた。枠は残っている。硝子(ガラス)も割れていない。だが中は暗い。名前が燃え尽きた後の、空の容器だった。

おたまが暗い砂灯(さとう)の根元に座った。小鈴の金色だけが硝子(ガラス)へ映り、一瞬、灯が戻ったように見える。こよいが息を呑むと、猫はもう立ち上がっていた。借り物の光では道を残せないと告げるように、暗い列の先へ鼻を向ける。

八つ目も暗い。九つ目も。

灯(ひ)の道は闇の中に途切れた。

「ここから先は、灯(ひ)がない」

あさひが言った。

「道もないかもしれないってことだ」

「砂灯(さとう)が照らしていた道は、もう存在しないかもしれない。漂白(ひょうはく)が消した道を、名前の光で照らし続けていただけだ。名前が尽きた今、道も消えた」

「幽霊みたいな道だったんだね」

こよいが呟(つぶや)いた。

「もう誰も通らない道を、砂灯(さとう)だけがずっと照らしてた」

あさひが鼻を鳴らした。

「道がなくても歩ける。足元が砂なら、どこでも道だ」

久遠(くおん)がかすかに笑った。

「暴論だが、間違ってはいない」

三人は消えた砂灯(さとう)の列を背にして歩き始めた。闇の中に、義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)と巾着(きんちゃく)の微かな金色だけが揺れている。

灯(ひ)は消えた。だが道の記憶(きおく)は、目録(もくろく)に残った。銘文(めいぶん)と座標(ざひょう)と方角。名前を使い切った灯(ひ)の意志は、紙の上に受け継がれた。

巾着(きんちゃく)が温かい。名前たちが静かに脈打っている。消えた名前への、穏やかな弔(とむら)いの律動(りつどう)だった。

足元の砂が微かに温かい。砂灯(さとう)が何百年もかけて温めた砂の熱が、まだ残っている。

その温もりを踏みしめながら、三人は南へ進んだ。  消えた灯(ひ)のぶんだけ、砂は冷えていた。それでも、まだ温かい一点を探して、おたまが半歩先を歩いていた。  砂灯(さとう)は消えても、灯を掲げた手の記憶までは消えない。誰かが確かに、ここで名前を灯していた。その事実だけは、漂白(ひょうはく)も奪えなかった。

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