審判の広場で二柱目の名を石に刻み終えた後、三人は浜辺の停車場へ戻り、夜を走る列車に乗った。次に降りたのは星野ではない。以前、七つの頁を置いた星降町だった。その白い広場に、何かが変わっていた。
四度目の停車。列車が停まった衝撃で座席の上の写本が滑り、こよいが慌てて押さえた。車輪が最後の軋みを上げて静止し、蒸気が窓の外を白く覆った。蒸気が晴れると、広場の白い石畳が目に飛び込んできた。 前に来たときと同じ白。だが、光が違う。石畳の表面に、淡い金色の斑点が散らばっている。
降りたとき、広場の受け皿に、新しい光が増えていた。 頁を置いたあの七つの場所——紙を持ち上げた後も、根の渦が紙の形を覚えたまま、地面そのものが受け皿になって残っている。その上の光が、三柱から五柱になっていた。
「増えてる。……自分で、降りてきたんだ」
こよいの声は、驚きよりも安堵に近い色を帯びていた。屈み込んで覗くと、五つの金色の光が石畳の根の中で穏やかに明滅していた。三つは、発つ夜に降りた名前。残りの二つは、こよいが知らない文字を宿している。水脈を渡っていた仲間のうち、帰り先を失って、行き先をここへ変えた名前たちだった。
久遠が義眼で確認した。蒼光が受け皿の表面を丹念に走り、五つの名前それぞれの輪郭を読み取っていく。義眼の光が一つの名前に当たるたびに、その名前が微かに反応して輝きを増す。まるで読まれていることを喜んでいるかのようだった。
受け皿が機能し続けている。 こよいがいない間も、水脈を彷徨っていた名前が自力でここに降りてきたのだ。根の渦が名前を引き寄せ、定着させている。こよいが手を伸ばさなくても、置いた受け皿の写しが、名前の居場所として働き続けている。
着地の確認、合計三十三柱。
久遠が目録に数字を書き足した。筆先が紙を擦る音は淡々としていたが、書き終えたあとの久遠の目元が、ほんの少しだけ緩んだのをこよいは見た。
「まだ足りない」
こよいが言った。声は静かだったが、足元の石畳に落ちた影は真っ直ぐだった。背筋を伸ばし、受け皿を両手で持ち上げる。五つの名前の光が、こよいの顎の下を金色に照らした。 宵波浜で失った一柱の紙を、胸の内ポケットに入れたまま。墨だけが残った紙の感触が、布越しに胸に当たっている。温もりのない紙。けれど重さだけは、他の三枚と変わらなかった。
あさひが広場を見回した。白い石畳は端から端まで見通せるほど平坦で、建物の影は広場の外縁にのみ落ちている。風がないせいで、空気が動かない。あさひの髪も揺れず、剣の布包みの紐も垂れたままだった。
「失ったのは一柱だ。残り、十七」
あさひの声は硬かった。事実を述べているだけだが、その声の底に、宵波浜での出来事への怒りが沈んでいた。救えなかったことへの怒り。あさひは自分自身に向けて怒る。他者には刃を、自身には拳を。広場に立つあさひの足元の影は、剣の輪郭を含めて一つの塊のように濃かった。
久遠が目録を閉じた。
「残り十七柱の行方は、把握できた。水脈を渡っているのが十一。封じられた井戸の戸口に一。砂の灯の浜の紙に一。および——」
久遠が口をつぐんだ。義眼の蒼光が、一瞬だけ収縮した。瞳の奥で何かが動いたように見えた。こよいは久遠の顔を見つめた。この男が言葉を途中で止めるのは、言うべきかどうかを迷っているのではない。言葉にした瞬間に、それが現実の重さを持つことを、引き受ける覚悟を決めているのだ。
「そして?」
こよいが促した。
「四柱が、観測者の本拠に運び込まれている。消去分類だ」
空気が凍った。
消去。 完全な抹消。
宵波浜の「流出」とは違う。流出は、名前が水に還ること。希釈され、薄まり、やがて個を失うこと。それでも水の中に痕跡は残る。だが消去は違う。痕跡ごと消す。名前があったという事実そのものを、世界から剥ぎ取る。取り返しのつかない消滅。
あさひが布越しに剣の柄へ手をかけた。指が白くなるほど握り締めている。布包みの中で刀身が微かに鳴った。金属が怒りに共鳴するように、高い振動を発している。
「場所は」
あさひの声は短く、低い。余分な音節を削ぎ落としたその声は、抜き身の刃のようだった。
「分からない。だが、海図に一本だけ、太い線が残っている。その線の先だ」
久遠は目録を膝の上に置き、海図の頁を開いた。義眼の蒼光が照らす紙面には、薄れかけた線が幾重にも走っている。その中に一本だけ、墨の色を保った太い線があった。他の線が消えかけているのに、その線だけが紙の上に刻み込まれるように残っている。
こよいは写本の受け皿を見つめた。 五柱の名前が金色に光っている。星降町の白い石畳の上で、小さく、けれど確かに。一つ一つの光が異なるリズムで明滅し、それぞれの名前が異なる鼓動を持っていることを伝えていた。
あさひが剣を抜いた。 白い空気の中に、刃の銀色が走った。あさひが布包みを一息に払った音が広場に反響し、石畳を叩いて戻ってくる。 刃を親指に当てた。
血が一筋、滲んだ。鮮やかな赤が刃の表面を伝い、切っ先から滴った。あさひの血は濃い。陽の光の下でも暗く見えるほどの赤で、石畳に落ちた瞬間に白い石を染めた。
「俺が奴らを引きつける。お前たちは名前に集中しろ」
血が白い石畳に落ちた。 赤い点が、白い地面に残った。あさひは親指の傷口を見もせず、剣に布を掛け直した。布越しに柄を握る手に、まだ血が滲んでいる。
列車の汽笛が鳴った。長く、低く、広場の白い空気を震わせた。出発の合図だった。蒸気が車体の下から噴き出し、石畳の表面を舐めるように広がる。
おたまが、あさひの血の落ちた場所に鼻先を寄せ、それから、あさひの脛に頭を一度だけ打ちつけた。猫なりの、誓いの受理だったのかもしれない。
白い広場の上の名前たちが、列車を見送るように揺れた。受け皿の中の五つの光が、汽笛の音に反応して同時に明るくなる。音に感応しているのか、それとも別れを惜しんでいるのか。
あさひの血が石畳に染みていく。白の中に赤が残る。血の跡は乾いても消えないだろう。この広場の白さの中に、あさひの覚悟が刻まれた。
汽笛の余韻の中で、こよいは、水に還ったあの一柱のことを思った。 水に還る名は、それでも水の中に在る。雨になり、潮になり、いつか誰かの井戸に汲まれるかもしれない。だが消去は——水に還ることさえ、許さない。在ったという事実ごと、剥ぎ取る。四柱を待ち受けているのは、還る先すらない消滅なのだ。 だから、行く。還る場所ごと守るために。
こよいは巾着を握った。神々の脈が、あさひの血の温度に呼応するように速まった。巾着の布が熱を帯び、こよいの掌を温める。神々は知っている。血が流れた意味を。覚悟が固まった音を。 四柱を消そうとしている場所へ、いずれ行かなければならない。海図の太い線を辿り、その先にあるものと向き合わなければならない。 けれど今は、この広場の五柱の光を見つめた。白い石畳の上で、金色の名前たちが静かに息をしている。その光の一つ一つが、こよいの旅の意味を確かめ直す灯りだった。
