第180話 中陵の心臓へ
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第180話 中陵の心臓へ

第6章 影の計量

共鳴器きょうめいきを越えると、地下へ降りる斜坑しゃこうが現れた。

入口は人二人分の幅があり、天井は高い。だが奥へ進むほど狭くなっていくのが、入口からでも分かった。壁が内側へかたむいている。圧迫感のある構造だ。  入口の石額せきがくに刻まれた字。  『中陵ちゅうりょうの心臓へ』。  字は大きく、荒い。急いで刻んだような筆致ひっちだ。案内というより、警告に近い。

あさひが先頭へ出る。欠けた剣を半分抜き、左手で壁に触れながら歩く姿勢を取った。

「ここからは一本道か?」

久遠くおんが首を振る。蒼光そうこう斜坑しゃこうの奥を照らすが、光が途中で曲がって返ってくる。まっすぐではない。

脈管みゃっかんが複数ある。間違えると外殻がいかくへ戻される。最悪の場合、出口のない袋小路にまる」

斜坑しゃこうの壁には、赤黒い筋が走っていた。筋の幅は指二本分ほどで、壁の石の中をうように伸びている。触れると温かい。血管みたいに脈打っている。  ことわり主脈しゅみゃくだ。中陵ちゅうりょうの心臓から全身へ巡る、記録の循環経路。たまを返したことで、この主脈しゅみゃくの一本が開通した。開通した脈は温かく、閉じた脈は冷たい。その温度差が、進むべき道を教えてくれるはずだった。

こよいは巾着きんちゃくを胸元で押さえ、神々の脈を意識した。主脈しゅみゃくの脈動と神々の脈が近い。似た周期で波打っている。だが完全にはそろわない。微妙にずれた二つの拍が干渉すると、頭がくらんだ。船に乗った時の揺れに似ている。身体が二つの拍に引かれて、どちらに従えばいいか分からなくなる。

「距離を取って歩こう。壁に近づきすぎると引かれる」

こよいが言うと、あさひは壁から手を離し、通路の中央へ寄った。久遠くおん蒼光そうこうの向きを壁かららす。三人は斜坑しゃこうの中央線を守って降りていった。

傾斜は緩やかだが、長い。足音が石壁に反響し、自分たちの後ろにもう一組の足音があるように聞こえる。久遠くおんが何度か振り返ったが、誰もいない。反響が追手の気配に似ているだけだ。

途中、横穴が何本も分岐ぶんきしていた。左右の壁に、不規則な間隔で暗い穴が開いている。どれもかすかに風を吐いていたが、風の温度が違う。温かい風と冷たい風。主脈しゅみゃくが通っている穴は温かく、閉じた脈の穴は冷たい。

久遠くおん目録もくろくを使わず、耳で選んだ。各穴の前で立ち止まり、耳を傾ける。

「心臓側は低い拍。高い拍は外殻がいかく。低い音を追う」

最初の分岐で左を選び、次の分岐で右を選んだ。三つ目の分岐では、久遠くおんが少し迷った。二つの穴から同じ高さの音が聞こえる。

「……こよい、月の神はどっちに反応する」

こよいは巾着きんちゃくを左の穴、次に右の穴の前にかざした。右の穴の前で、月の神の銀光がかすかに明滅した。

「右。月の神が光った」

「右だ」

あさひが短く返す。

「音で選ぶ日が続くな。目が使えない道は、どうにも落ち着かない」

斜坑しゃこうはさらに深くなり、空気が変わった。乾いた砂の匂いが消え、代わりに石と水の匂いが混じる。湿度が上がっている。壁の赤黒い筋が太くなり、脈動が目に見えるほど大きくなった。壁が呼吸しているように見える。

半刻後、斜坑しゃこうの先に巨大な空洞くうどうが開けた。

天井は見えない。蒼光そうこうを上へ向けても、光が闇に吸い込まれて返ってこなかった。広さも分からない。足元の石が湿り、薄い水の膜が光を反射している。空洞くうどう全体に低い振動が満ちていて、身体の芯が揺れる。

中央に、黒い結晶体。  人の背丈の三倍はある巨大なかたまりだ。表面は滑らかだが、内部に無数の亀裂きれつが走っている。亀裂の一つ一つが光を帯び、赤、青、白の光が交互に明滅めいめつする。ゆっくり収縮し、膨張ぼうちょうする。心臓の鼓動と同じ律動だ。

中陵ちゅうりょうの心臓だった。

こよいは圧倒され、足を止めた。息を吸うことも忘れ、結晶体を見上げる。結晶の表面には消えかけた名前が無数に走り、脈のたびに浮いては沈む。名前は文字として読めるものもあれば、光の残像ざんぞうとして一瞬だけ現れて消えるものもある。何千、何万という名前が、この結晶の中を巡っている。

これが、名前の循環装置だ。ここから名前が送り出され、ここへ名前が戻ってくる。削られた名前も、守られた名前も、すべてこの心臓を通っている。

あさひが低く言う。声が空洞くうどうに反響し、結晶体の表面を波紋のように走った。

「これを守ってる番人がいるはずだ」

久遠くおんうなずき、結晶周囲の床を蒼光そうこうで照らした。足跡あしあとがある。靴底の模様が水膜すいまくに残っていた。新しい。水が乾ききる前の足跡だ。

「いる。しかも一人じゃない可能性が高い。足跡の幅が二種類ある」

こよいは深呼吸した。空洞くうどうの空気は冷たく、湿り気があり、肺の奥まで届く。

「心臓を止めるんじゃなく、流れ方を直す。そこは変えないよね」

久遠くおんは即答する。

「その通り。停止は崩壊ほうかいを招く。心臓が止まれば、全域の名前が同時に消失する。やるべきは脈の修正だけだ」

あさひは剣を半分だけ抜いた。欠けた刃が空洞くうどうの薄い光を受け、鈍く光る。

「なら、交渉できる相手なら交渉。無理なら最小限で制圧。心臓には触れない」

結晶体の脈が一段深くなった。収縮と膨張ぼうちょうの間隔が長くなり、一回の鼓動が重くなる。空洞くうどう全体が共鳴し、水膜すいまくに波紋が広がった。  遠くで、足跡あしあとが返った。石を踏む音が、空洞くうどうの反対側から聞こえてくる。一人分ではない。複数の足音が、等間隔で近づいてくる。

番人が来る。

三人は配置を取った。あさひが前、こよいが中央、久遠くおんが後方。結晶体を背にせず、斜坑しゃこうの入口を背にする。退路を確保する配置だ。  名のうつわ水脈すいみゃく記憶きおく。二つはそろった。あとは還す者のだけだ。この深部に、答えがあるか。  心臓に近づくための、最後の手前まで来ていた。

おたまも、こよいの足元を離れずに進んだ。

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