列車が峠の分岐へ差しかかった時、同時に三つの汽笛が鳴った。
一本の線路に、三本分の到着音。音の方向がばらばらだ。前方、左斜め、右下。重なって聞こえるのではなく、別々の場所から同時に聞こえている。音の質も違った。前方は高く鋭い金属音、左斜めは低く響く蒸気音、右下はくぐもった木造の音。三つの時代の汽笛が、同じ瞬間に交差している。 窓の外には、異なる停車場の灯が重なって見えた。同じ空間に三つの駅が重なっている。建物の輪郭が透けて重なり、どれが実体か分からない。手前の駅の看板の向こうに、別の駅のプラットフォームが透けて見えた。看板の文字すら二重に重なり、読もうとすると目が痛くなる。
「連鎖の断絶点だ」
久遠が即座に目録を開く。蒼光が頁を照らし、読む速度が普段の倍になっていた。焦っている。義眼の光が明滅し、こめかみの血管が浮いている。
「ここで接続を切らないと、後続区画まで同時崩落する。三つの系統が短絡して、一つの崩壊が三つに増幅される」
あさひは車両の連結部へ走った。通路は狭く、壁に肩をぶつけながら進む。連結部の床の金具が不規則に震え、火花を散らしていた。金属が歪む音がして、連結の継ぎ目から蒸気が漏れている。蒸気は熱く、あさひの腕に当たって赤い跡を残した。
こよいは巾着を胸に押し当て、呼吸を整えた。神々の脈は高いが、まだ制御可能だ。四柱の脈が速くなっている。危険を感じている拍だ。神々の温度が下がり、巾着の布が冷たくなっていく。
久遠が三枚の紙を目録から抜き取り、床へ並べた。紙はそれぞれ異なる記号で記されている。列車の揺れで紙が滑り、久遠は膝で押さえた。
「左が名前系、中央が影系、右が共鳴系。今は三つが短絡してる。本来は並行して走る経路が、この分岐点で一つに束ねられてしまった。だから三つの駅が重なって見える」
あさひが連結部に到着し、金具を確認する。三つの金属板が互いに噛み合い、火花を散らしている。金属板の表面が熱で変色し、赤黒い光を放っていた。
「切ればいいんだな」
「順番を間違えるな。右、左、最後に中央だ。共鳴、名前、影の順に切る」
列車が大きく揺れた。横方向への揺れで、壁に体を打ちつけそうになる。天井の行灯が振り落とされ、硝子が割れて油が床へ落ちた。油が広がれば火がつく。硝子の破片が油の上に散り、炎が一瞬だけ揺らいだ。
こよいは月の神の冷光で油の広がりを止めながら叫んだ。銀色の冷気が油の表面を凍らせ、流動を止める。指先が痺れるほどの冷たさだ。
「なんでその順番?」
久遠は紙を床に押さえつけたまま答える。列車の揺れで紙が飛ばないように、両手で押さえている。声は落ち着いているが、額に汗が光っていた。
「共鳴は三つを繋ぐ緩衝材だ。先に外して波を逃がす。次に名前で表層を分離。影は一番深い、最後だ。……順を違えれば、暴発する」
あさひが頷き、最初の金具に剣を差し込んだ。欠けた刃でも、金属の継ぎ目を狙えば入る。刃先が金属の間に食い込み、軋む音がした。 力をかけ、捻る。金属が悲鳴のような音を上げ、右側の金具が折れた。折れた金具が床に落ち、火花を散らして転がる。右側の震動が弱まり、窓の外で重なっていた灯の一つが揺れ始める。
続けて左。名前系の金具だ。こちらは右より固い。あさひは剣の角度を変え、金具の裏側に刃先を引っ掛けた。腕の筋が浮き上がる。テコの原理で持ち上げ、一気に外す。窓の外で、重なっていた灯が一つ剥がれ、遠ざかった。三つだった駅が二つになる。輪郭の重なりが薄くなり、実体と幻の区別がつくようになった。
最後に中央へ刃を入れた。 刃が金具に触れた瞬間、車体全体が跳ねた。床が持ち上がり、天井が落ちてくるような感覚。こよいは座席の背もたれに背中を打ちつけ、視界が真っ白になった。肺の空気が一瞬で押し出され、声も出ない。 耳鳴り。高い音が頭の中で回っている。
それでも巾着を落とさなかった。掌の温度だけを頼りに、巾着を握り続ける。温度が残っていれば、意識は戻せる。冷たさが指先から腕を伝い、意識の輪郭を取り戻した。
揺れが収まった。 汽笛は一つだけ。線路のきしみも一本分に戻っている。窓の外には、一つの停車場しか見えなかった。重なりは消えた。灯は弱いが実体の灯だ。透けていない。 座席の下から、おたまが這い出してきた。埃を一度だけ振り払い、何事もなかったように窓枠へ跳び乗る。
久遠が深く息を吐いた。肩が大きく上下する。蒼光が消え、義眼が暗くなった。出力を使い切った顔だ。
「切れた……連鎖は分離できた」
あさひは剣を鞘に戻さず、床へ座り込んだ。汗が額から顎へ伝っている。剣を握る手が微かに震えていた。
「危なかったな。あと一拍遅れたら、車両ごと裂けてた」
こよいはゆっくり起き上がり、窓を見た。外には一つの停車場だけが見えている。灯は弱いが、実体のある灯だ。重なった幻ではない。
「断つのって、怖いね」
こよいの言葉に、久遠が答えた。
「怖い。でも、つなぎ直すためには一度切るしかない時がある。壊れた接続をそのまま保てば、全部が巻き込まれて壊れる」
あさひが笑って立ち上がった。膝の砂を払い、剣をようやく鞘に収める。
「なら次は、切ったあとを繋ぐ仕事だな」
列車は速度を落とし、静かな停車場へ入った。プラットフォームに人影はない。灯が二つだけ、等間隔に光っている。灯の下に虫が集まり、小さな影を作っていた。 断絶のあとに残る静けさは、空白ではない。次の接続を待つ、準備の静けさだった。
停車場に降りると、線路脇の表示板に新しい文字が灯った。
『接続待ち』
以前なら崩落警報が出ていた場所だ。崩壊の文字が赤く点滅していたはずの場所に、穏やかな待機の表示。文字は青白く、静かに光っている。 こよいはその表示を見て、ようやく肩の力を抜いた。
あさひが笑う。
「断つだけじゃなく、待てるようにもなったか」
久遠は表示板を確認し、頷く。
「急いで繋ぐより、待って正しい順で繋ぐ。次の課題はそこだ」
こよいは巾着を握り、静かな線路を見つめた。夜の線路は一筋だけ、暗闇の中をまっすぐ伸びている。レールの表面が停車場の灯を反射し、細い光の線が闇の奥へ消えていった。 断絶の先に、続きのための余白が確かに生まれていた。
そのとき、遠くで汽笛がひとつ、返事のように鳴った。 ぼくたちの霧列車のものではない。 おたまの耳が、闇の奥の一点へ向いたまま、動かなくなった。
