第153話 二つの太陽
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第153話 二つの太陽

第5章 名の漂い

列車を降りた先は、昼なのに寒かった。

吐く息は白くならない。だが肌の表面がこわばり、指先の感覚が鈍い。陽の光があるのに温度がない。その不一致が体の奥に不安を落とした。

空に太陽が二つある。  ひとつは白く、もうひとつは薄い金。  どちらも同じ高さで止まり、影を二方向へ落としていた。二つの光が重なる場所だけが明るく、それ以外の地面には薄い灰色のかげりが広がっている。光が多いのに、暗い。矛盾した景色だった。

「偽りの太陽だ」

久遠くおんが目を細める。義眼ぎがんの焦点が二つの太陽を交互に捉え、瞳の奥で光が瞬いた。

「本来の光源こうげん模倣もほうして、影の向きを乱してる。観測の誤差を増やす典型手法だ」

あさひは地面に剣を立て、影を測る。  刃の影が二本に分かれ、風のたびに入れ替わる。どちらの影が本物か、見ているだけでは判断がつかない。あさひは剣の角度を何度か変えたが、そのたびに影の優劣が入れ替わり、苛立たしげに舌を打った。

「方角が死ぬな。道が読めない」

こよいは巾着きんちゃくを胸に当てた。  神々の脈は穏やかだが、時折、硝子びいどろの神が澄んだ一打を返す。一定のリズムの中に、不意の跳ねが紛れ込む。  どちらの光に反応しているのか分からない。こよいは目を閉じ、光を遮断して神々の温度だけに集中した。まぶたの裏に赤い光の残像が泳ぐ。それが消えるまで待ち、掌の感覚だけを研ぎ澄ませた。温度は変わらない。光に左右されていないのだと分かり、少しだけ安堵あんどした。

おたまは、白い太陽の光だまりを選んで丸くなっていた。金の光の下には、決して座らなかった。

町の中央には日時計ひどけいがあった。  石造りの台座に真鍮しんちゅうの針が立ち、本来なら一本の影を盤面に落とすはずだ。台座の石には細かな地衣類ちいるいが張りつき、長い歳月を物語っている。  しかし針は影を作らず、盤面だけが焦げたように黒い。二つの光源に挟まれた針は、影を打ち消し合って無になっていた。時を刻むための道具が、時を失っている。

「本物の太陽は隠されてる」

久遠くおんが言う。

「偽物同士を争わせて、基準きじゅんを見失わせる構造だ」

あさひが空をにらむ。  二つの太陽は微動だにしない。風も雲もなく、空は硬い板のように平坦だった。

「なら、片方を落とせばいい」

「落とせても、もう片方が本物とは限らない」

こよいは日時計ひどけいの縁にひざをついた。  石の冷たさが膝を通じて太腿ふとももまで伝わる。この町の石は、昼なのに陽に温められていない。偽の光は熱を持たないのだ。触れているうちに膝がしびれ始め、こよいは手のひらを石に当てて確かめた。冷たい。どこまでも冷たい。  盤面には細い傷が走り、古い刻印こくいんかすれている。長い年月の間に誰かが読もうとして爪で引っ掻いた跡が、幾重にも重なっていた。この日時計ひどけいの前で膝をつき、真実を探ろうとした人間が、こよいの前にも何人もいたのだ。  そこへ神々の温度を落とすと、傷の隙間から一文字だけ浮かんだ。

続けて、逆側に別の文字。

二つの文字が盤面の両端で向かい合う。まるで天秤てんびんのように。どちらの皿にも同じ重さが載っている。傾かない天秤。それ自体が答えだった。

「……二択じゃないんだ」

こよいがつぶやく。  声に確信があった。神々が温度で教えたのは、正と偽の位置ではなく、その構図そのものだった。

「正と偽を並べて、選ばせること自体がわな

久遠くおんうなずく。珍しく、目を見開いていた。義眼ぎがんの回転が止まり、こよいの顔をまっすぐに見ている。

基準きじゅんを空に置くな。地面側で取り直す」

三人は町外れの水路すいろへ向かった。  道すがら、こよいは町の住民を観察した。誰もが二つの影を引きずり、歩くたびに影同士がぶつかって揺れている。住民たちはそれを気にしていないようだったが、足取りはどこか不安定で、何度も立ち止まっては方角を確かめていた。二つの影に慣れてしまった人たちだ、とこよいは思った。

水路すいろは町の縁を細く流れていた。水は清く、底の砂利が一粒ずつ見える。水草が流れに沿って揺れ、小さな魚の影が砂利の上を走った。水の匂いが鼻をかすめ、こよいは懐かしさに似た感覚を覚えた。嘘のない水だ。  水面には空が映る。  偽りが強い光ほど、反射が不自然になるはずだ。

水路すいろに着き、こよいがのぞき込む。  白い太陽は水面で揺らぎが少ない。水の流れに沿って像が伸び縮みするだけで、形は保たれている。  金の太陽は輪郭りんかくがわずかに遅れる。水面の動きと像の動きがずれていた。本物の光なら水と同期するはずだ。そこにある違和感を、こよいの目は見逃さなかった。

「あっちが偽物」

あさひが即座に動いた。  剣を高く掲げ、金の太陽へ斜めに振り上げる。  刃は空へ届かない。  だが、剣筋に沿って光の帯がゆがむ。刃が空気を裂いた跡に一瞬の暗線が走り、金の光が揺れた。

同時に、久遠くおん目録もくろくに挟んでいた控えの紙を抜き、風へ放った。  白い紙片が舞い上がり、二つの太陽の間を通過する。白い太陽の光を受けた面は影を作ったが、金の太陽の光を受けた面は何も落とさなかった。影を作れない光。それが偽りの証拠だった。  紙片が金の太陽の輪郭りんかくへ吸い込まれ、焼けずに消える。

結節点けっせつてんを捕まえた。こよい、今だ」

こよいは神々の脈を合わせ、てのひらから温度を放つ。  温かさが水路すいろの水面を伝い、反射を通じて空へ昇る。本物の光と神々の温度が重なり、白い太陽の輪郭りんかくが一瞬だけ強まった。  水路すいろの反射が一瞬だけ真っ直ぐになり、金の太陽がぶれた。

次の瞬間、金の太陽は砕けるように細かな光片へ崩れ、空へ散った。  光の破片が降り注ぎ、地面に触れる前に消える。音はない。重さもない。ただ光だけが、あったことを示すように一瞬きらめいて消えた。こよいの頬に光片がかすめ、冷たくも温かくもない感触だけが残った。

白い太陽だけが残る。  影は一本に戻り、町の輪郭りんかくがはっきりする。建物の角が鋭くなり、路地の奥行きが見えるようになった。色も戻った。壁の土が薄い黄土色をしていたことに、今はじめて気づく。二つの影に曖昧にされていた町が、一つの光のもとで姿を取り戻す。日時計ひどけいの盤面に、細い影がようやく落ちた。

あさひが剣を納め、息を吐く。

「やっと地面が地面だ。……つうか、猫は最初から知ってたわけだ。白いほうの下でしか寝てなかった」

振り向くと、おたまは光だまりの真ん中で、素知らぬ顔で毛づくろいをしていた。

久遠くおん日時計ひどけいを見て言った。

「偽りは消えたが、再発する。記録源を断たない限り」

こよいはうなずいた。  それでも、基準きじゅんを取り戻す手順は分かった。  目がだまされるなら、水にく。  術式じゅつしきの最後の一片——還す者のさえ揃えば、全てがつながる。

列車へ戻る坂道で、あさひが背後を見た。  空には白い太陽が一つだけ残っている。光が素直に降り注ぎ、石段の角が白く輝いていた。坂道に落ちる影が長く伸び、三人の輪郭を地面に刻んでいた。

「……静かだな」

こよいはうなずいた。

「騒がしいうそが消えると、静けさってこんなに広いんだね」

久遠くおんは歩幅を緩めず言った。

「静けさは終わりじゃない。次の観測が始まる前の余白よはくだ」

こよいは一つだけの影を踏んで歩いた。影の輪郭がはっきりしていることが、今はただ嬉しかった。

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