第466話 記録の逆流
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第466話 記録の逆流

第15章 潮の外縁

目録(もくろく)の頁(ページ)が勝手にめくれた。

久遠(くおん)は頁(ページ)を押さえたが、紙が指の下で暴れた。文字が裏側から浮き出てくる。白く漂白(ひょうはく)されたはずの頁(ページ)に、消えた記録(きろく)が滲み出していた。

「なんだ、これは——」

久遠(くおん)の声に、焦りが混じった。

目録(もくろく)の白い頁(ページ)に、黒い染みが広がっていく。染みは文字の形をしていた。漂白(ひょうはく)される前の、元の記録(きろく)。消されたはずの名前。消されたはずの座標(ざひょう)。消されたはずの出来事。

それらが一斉に、白い紙の上に戻ってきていた。

「逆流(ぎゃくりゅう)だ」

久遠(くおん)は義眼(ぎがん)を全開にした。蒼光(そうこう)が目録(もくろく)全体を照らす。

「漂白(ひょうはく)が巻き戻ってる。消されたものが、消される前の状態に戻ろうとしている」

こよいは目録(もくろく)を覗き込んだ。  頁(ページ)の上で、文字が生まれていく。最初は薄い灰色。それが徐々に濃くなり、黒い墨(すみ)のようにはっきりと浮かび上がる。

名前が見えた。

知らない名前だった。漂白(ひょうはく)される前にこの目録(もくろく)に記されていた、誰かの名前。

「読める。『みくに』——これ、名前だよ」

こよいの声が弾んだ。

久遠(くおん)は頁(ページ)をめくった。次の頁(ページ)にも文字が戻っている。その次も。その次も。白紙だったはずの頁(ページ)が、次々と記録(きろく)で埋まっていく。

「海底の膜(まく)が弱まっている影響だ。根が膜(まく)を突き破り始めたことで、漂白(ひょうはく)の力全体が揺(ゆ)らいている。目録(もくろく)だけじゃない。この海域(かいいき)全体で、漂白(ひょうはく)された記録(きろく)が逆流(ぎゃくりゅう)してる」

あさひが列車(れっしゃ)の窓を開けた。  外の空気が変わっていた。霧(きり)の色が白から灰色に変わり、灰色の中に微かな金の粒が混じっている。漂白(ひょうはく)の白が薄れ、元の色が戻り始めている。

「あっちも同じか」

「同じだ。漂白(ひょうはく)が崩れてる」

久遠(くおん)は義眼(ぎがん)で外を確認しながら、目録(もくろく)の記録(きろく)を読み取った。

「だが、これは不安定だ。漂白(ひょうはく)を管理していた観測者(かんそくしゃ)が、制御(せいぎょ)を失いかけている。逆流(ぎゃくりゅう)は制御(せいぎょ)された復元(ふくげん)じゃない。堰(せき)が壊れて水が溢(あふ)れてるようなものだ」

列車(れっしゃ)が揺れた。線路そのものが振動(しんどう)している。  窓の外で、海面(みなも)に白い泡(あわ)が立ち始めた。海底の膜(まく)がさらに裂け、中から押さえ込まれていたものが噴き出している。

泡(あわ)の中に、光がある。金色の光。名前の光。

こよいは窓枠(まどわく)に手を置いた。

「戻ってきてる。名前たちが、海(うみ)の底から戻ってきてる」

久遠(くおん)は目録(もくろく)の記録(きろく)速度を追いながら、義眼(ぎがん)の焦点を絞った。

「観測者(かんそくしゃ)が対応し始めた。再漂白(ひょうはく)しようとしてる。逆流(ぎゃくりゅう)した記録(きろく)をもう一度消そうとしている」

目録(もくろく)の頁(ページ)が、また揺れた。  浮かび上がった文字の一部が、再び薄くなり始めている。消そうとする力と、戻ろうとする力がぶつかっている。

「間に合うのか」

あさひが久遠(くおん)を見た。

「分からない。だが、逆流(ぎゃくりゅう)の速度は上がってる。根が膜(まく)を壊す速度が、観測者(かんそくしゃ)の修復速度を上回りつつある。このままいけば——」

久遠(くおん)は鉛筆(えんぴつ)を握った。  目録(もくろく)に浮かんだ名前を、片端から別の紙に書き写し始めた。手が速い。義眼(ぎがん)で読み、鉛筆(えんぴつ)で写す。消される前に写す。

「手伝う」

こよいが写本(しゃほん)を広げた。  久遠(くおん)が読み上げる名前を、こよいが写本(しゃほん)に書き留めた。声には出さない。口の動きだけで伝え、こよいがそれを拾う。

名前が次々と写本(しゃほん)に記された。  みくに。かさね。ほのか。たまき。消されていた名前たちが、紙の上に復元(ふくげん)されていく。巾着(きんちゃく)で拾い集める五十一柱とは別の、漂白(ひょうはく)で世界から消された名前たちだ。救出の数には加えない。

あさひは二人の背中を守るように立ち、窓の外を監視(かんし)した。  海面(みなも)の泡(あわ)が増えている。金色の光が水面(みなも)を突き破り、霧(きり)の中に立ち昇っていく。

観測者(かんそくしゃ)の再漂白(ひょうはく)が追いつかない。  逆流(ぎゃくりゅう)は止まらない。

久遠(くおん)の手が止まった。  目録(もくろく)の最後の頁(ページ)に、大きな文字が浮かんでいた。他の名前より太く、深い。漂白(ひょうはく)される前に最も強い力で刻まれた記録(きろく)。

「これは——座標(ざひょう)だ」

久遠(くおん)の義眼(ぎがん)が鋭く光った。

「漂白(ひょうはく)の中枢(ちゅうすう)の座標(ざひょう)。観測者(かんそくしゃ)が漂白(ひょうはく)を管理している場所の位置情報。これも消されていた記録(きろく)だ。逆流(ぎゃくりゅう)で戻ってきた」

こよいは写本(しゃほん)にその座標(ざひょう)を書き写した。  手が震えた。これが観測者(かんそくしゃ)への道になるかもしれない。

列車(れっしゃ)が大きく揺れた。  線路の下で、根が膜(まく)をさらに破った振動(しんどう)だった。

窓の外で、白い霧(きり)が金色に染まり始めていた。  逆流(ぎゃくりゅう)は加速している。消されたものが、この世界に戻ろうとしている。

久遠(くおん)は目録(もくろく)を閉じ、写本(しゃほん)を確かめた。  二十三の名前と、一つの座標(ざひょう)。逆流(ぎゃくりゅう)が教えてくれた記録(きろく)。

「足りるか」

あさひが振り向いた。

「足りないが、始まりには十分だ」

久遠(くおん)は写本(しゃほん)を畳み、懐に入れた。

海面(みなも)の金色の光が、しばらく列車(れっしゃ)の窓を照らし続けていた。  逆流(ぎゃくりゅう)はまだ終わっていない。

おたまは写し終えた二十三の名の紙束へ鼻先を寄せ、最後の座標だけには触れずに尾を膨らませた。名と道標は同じ頁に戻ってきても、同じものではない。久遠は座標の紙を別に畳み、再漂白されないよう油紙の内側へ収めた。

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